朝鮮の開国 ─ 主張・理由・欧米・アメリカ・近代化【わかりやすく解説】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・朝鮮の開国&近代化について知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・江華島事件
・日朝修好条規
・壬午事件
重要人物
・大院君
・閔氏
・金玉均
ポイント
・日本との日朝修好条規により、朝鮮は清朝との冊封関係はじょじょに断たれていった

この記事では、つぎの本を参考にしました。

以下、[背景 → 展開 → 影響]の流れで、朝鮮の開国と近代化についてみていきます。

朝鮮の開国① ─ 背景

大院君

開国以前、朝鮮は党争による対立が激化していました。

没落した両班(やんばん)の指導のもと「洪景来の乱」とよばれる大規模な農民反乱がおこり、朝鮮国内はたいへん乱れます。

そのなかで東アジアの経済覇権をねらう欧米諸国が朝鮮にたいして開国を要求していきます。

ときの摂政だった大院君は、これまでと同じく諸外国との貿易を禁じる「海禁」と、外国人に本土の土を踏ませない「攘夷」を主張します。

日本でのペリー来航と同じく、ヨーロッパ諸国やアメリカからの開国要求が、近代化のきっかけとなりました。

朝鮮の開国② ─ 展開

「日朝修好条規」締結のようす

そんななかで、さきに近代化に乗りだした日本から軍艦砲撃による威信行為をうけます。この事件を「江華島事件」とよびます。

抵抗を試みたものの、日本の半島侵略を恐れた朝鮮はいったん譲歩し日朝修好条規をむすびます。

それにより、

・朝鮮の自主独立(=清国との冊封関係の解消)
・釜山&仁川&元山の開港
・日本公使館の設置
・日本による領事裁判権の承認

を確約させられます。

みてわかるとおり、朝鮮にとっては完全な不平等条約でした。

朝鮮の開国③ ─ 影響

金玉均

日本と不平等条約をむすんだことで、朝鮮国内から不満の声があがり、じょじょにふたつの派閥が争うようになります。

大院君派(攘夷派)
vs
閔氏派(開国改革派)

ついには武力衝突がおこり「壬午軍乱」とよばれる内乱にまで発展します。

はじめ大院君派が政府中央にクーデターをおこし、閔氏政権打倒を試みます。

しかし清国の介入に合い、政権転覆は失敗におわります。

これにより攘夷派は実権を失い、閔氏派は清国に接近して、政権の基盤をかためます。

これで朝鮮の近代化がすすむかと思いきや、今度は閔氏派の内部で争いがおこります。

閔氏政権(漸進改革派&親清国派)
vs
開化派(急進改革派&親日派)

です。

対立は激化し、ついには「甲申政変」とよばれる内乱にまで発展します。

日本の支援のもと、開化派の主導者である金玉均はクーデターをおこしますが、ふたたび清国の介入に合い、失敗におわります。

その結果、閔氏政権が近代化政策をおしすすめるものの、甲申政変をつうじて清国からの影響力が増すことになります。

いっぽう日本と清国とあいだで天津条約がむすばれます。

交渉を有利にすすめた日本は、清国にたいして朝鮮からの撤兵を約束させ、かりに出兵する場合には、まえもって通知することを約束させます。

その後、清国と距離をおくことになった閔氏政権は、日清戦争以降、日本からの圧力をじょじょにうけることになります。

朝鮮侵略を警戒した政権は、北のロシアに接近し〝うしろ盾〟になってもらうことで、日本を牽制します。

しかし朝鮮にたいする日本の圧力はおさらず、やがては半島領土をめぐり、日本とロシアのあいだで争いが勃発します。これが日露戦争でした。

おわりに

朝鮮の開国と近代化をみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・江華島事件
・日朝修好条規
・壬午事件
重要人物
・大院君
・閔氏
・金玉均
ポイント
・日本との日朝修好条規により、朝鮮は清朝との冊封関係はじょじょに断たれていった

この記事が、朝鮮の開国と近代化を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。