どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?
きょうは、この問いに答えていきます。
答えは、つぎのとおり。
・二重統治体制
・耶律大石
・岳飛
・秦檜
・靖康の変のあと、臨安に都をおいた南宋は、金国に臣従するものの、経済と文化がいちじるしく発展した
この記事では、つぎの本を参考にしました。
目次
金王朝の成立

宋王朝が深刻な財政危機を解決できないなか、中国の東北部で、女真族の完顔阿骨打(ワンヤンアグダ)が「金」を建国します。
金の勢力拡大をみた宋は、これ幸いとばかりに金と協力して、〝目の上のタンコブ〟である遼(キタイ)を滅ぼします。
それにより遼の王族だった耶律大石(やりつ たいせき)は、中央アジアに逃れて、新たに西遼(カラキタイ)を建国します。
いっぽう、金の援軍をうけて遼を倒した宋王朝ですが、財政危機の懸念から、さいしょに約束していた協力金を金王朝に支払おうとしません。
それにイラだった金は、宋の領域に攻めこみ、ときの皇帝である徽宗&欽宗を、金本国へ連れ去ります。
このできごとを「靖康の変」とよびます。
そののち金王朝は、皇帝一族を連行したあと華北を支配下におき、淮河を国境としたうえで、
という関係を確約させます。
くわえて、宋からは毎年、多額の銀&絹を納めることを約束させます。
南宋の成立

靖康の変のあと、ときの皇帝を失った親族たちは華南方面に逃れて、弟の高宗が新たに王朝をきずきます。
これが南宋です。
都は臨安におきました。
南宋王朝は、しばらくのあいだ経済力&軍事力を回復し、敗れた金王朝への報復をねらっていました。
しかし、ある程度の平安がおとずれるなかで、このまま金と良好な関係を維持する人たちがあらわれます。
結果、南宋のなかでは、
vs
和平派 秦檜(宰相)
の対立が激しくなり、さいごは内部抗争にまで発展します。
けっきょく秦檜ひきいる和平派が勝利し、淮河を国境としたまま、金との関係を維持することになります。
その後、金王朝にたいしては臣従の立場をとるものの、南宋の経済は大いに発展し、文化&芸術&学術も発達していきます。
おわりに
金王朝と南宋をみてきました。
まとめると、こんなかんじです。
・二重統治体制
・耶律大石
・岳飛
・秦檜
・靖康の変のあと、臨安に都をおいた南宋は、金国に臣従するものの、経済と文化がいちじるしく発展した
この記事が、金王朝と南宋を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。
では、また。
 
                






