ゲルマン人の大移動 ─ 理由・西ヨーロッパ・フン族

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・ゲルマン人の大移動について知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・西ゴート人
・東ゴート人
・フン人
・西ゴート王国
・東ゴート王国
・ヴァルダン王国
・ランゴバルト王国
・アングロ=サクソン
・フランク王国
重要人物
・アッティラ王
・オドアケル
・テオドリック
・ユスティアヌス帝
ポイント
・フン族が西側に進出したことで、西ゴート族が押し出され、ゲルマン人の移動が本格化した

この記事では、つぎの本を参考にしました。

以下、目次に沿って、みていきます。

移動前のゲルマン人

ゲルマン人の評議会(出典:wiki

移動前のゲルマン人をようすをみていきます。

そもそもゲルマン人が住む以前のヨーロッパには、先住民のケルト人が暮らしていました。

かれらは鉄器を使い、ゲルマン人だけでなく、ローマ人にも圧力をくわえていました。

そのなかでゲルマン人は、さいしょバルト海沿岸に住み始めます。

社会構造

ゲルマン人の社会は、王や首長がひきいる部族国家です。

おもな産業は、狩猟・牧畜・農耕です。

貴族/平民/奴隷に線をひき、身分制をしいていました。

最高議会機関である民会も存在していました。メンバーは、自由民かつ全成年男性による選挙により決められていました。

民族移動

バルト海沿岸で暮らしてたゲルマン人は、そこからじょじょに南の方へ移動し、紀元前後には、いまのライン川&ドナウ川の北側に到達します。

移動の要因は人口増加だとされています。

その後、ローマ帝国の領土内に入り、傭兵・下級官吏・小作人(コロヌス)として働くようになります。

ゲルマン人の大移動

アッティラ王

しばらくしてのち、ふたたびゲルマン人は移動します。

原因は、草原地域の寒冷化により、打撃をうけたフン人が、西に進んできたからでした。

ゲルマン部族のひとつ東ゴート人は、フン人の攻撃におされ、かれらに服従することになります。

いっぽうで西ゴート人は、フン人の侵攻を避けるように南下します。学術上、このときの移動が「ゲルマン人の大移動」(375年)とされます。

西ゴートは、ドナウ川をまたぎ、ローマ帝国内へと侵入します(376年)。それまでも、ローマ領土内にゲルマン人はいましたが、この移動はあきらかな侵犯であり、侵略でした。

西ゴート人につづき、ほかのゲルマン系部族も、ぞくぞくとローマ領内に入り、みずからの国をたてていきます。

国名と建国地をあげると、つぎのようになります。

・東ゴート王国(イタリア半島)
・ランゴバルト王国(イタリア半島)
・ヴァルダン王国(北アフリカ)
・西ゴート王国(イベリア半島)
・フランク王国(北ガリア)
・アングロ=サクソン(ブリタニア)

なお、ゲルマン人が移動したあとの土地には、スラブ人が住み始めました。

また、大移動の原因となったフン人は、君主アッティラ王のもと、パンノニアに大帝国を樹立します。

しかし、半世紀も経たないうちに、カタラウヌムの戦いで、西ローマとゲルマン人の連合軍に敗れます。

その後、すぐさま体制をたてなおし、ローマへ侵入しようとするものの、教皇レオ1世の説得をうけ、思いとどまります。

族長のアッティラが亡くなると、フン人勢力は分裂し、そのまま姿を消します。

代わって、フン族の支配下にあった東ゴート人が、パンノニアの地に定住し、東ローマ帝国と同盟をむすびます。

フン族の支配下におかれていた東ゴート族は、アッティラ死後のフン国家の瓦解に乗じて、ローマ帝国の同盟国となり、パンノニアに居をさだめた。(p.154)

─ 『詳説 世界史研究』

ゲルマン人の大移動の影響

皇帝廃位と西ローマ帝国の滅亡

約400年〜600年のあいだに、ゲルマン人の移動はおこなわれました。

それによりローマ領内には、どんな影響があったのでしょうか。

なにより重要なのは、ゲルマン人の大移動により、西ローマ帝国が滅亡したことです。

もちろんこの時点ですでに、西ローマ帝国は権威も権力はありませんでした。

ゲルマン人の傭兵隊長オドアケルが西ローマ皇帝を廃位して、その帝冠を東ローマ皇帝に返すことで、西ローマ帝国は完全に消滅します。

また、そのほかの影響として、移動後にたてたゲルマン人の国家が中心となり、争いがひんぱつします。

西ローマ帝国を廃位させたゲルマン人のオドアケルは、同じゲルマン系の東ゴート国王テオドリックにより倒されています。

そんな東ゴート王国を、今度は東ローマ帝国のユスティアヌス帝滅ぼすことになります。

そのさい、総督府がラヴェンナの地におかれ、サン=ヴィターレ聖堂が建てられました。

このようにゲルマン人の移動は、いまのヨーロッパ大陸に大きな混乱をもたらしました。

さいごは、ゲルマン系のランゴバルト人が、北イタリアを征服します(568年)。学術上、これをもって民族大移動を終結した、としています。

おわりに

ゲルマン人の大移動についてみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・西ゴート人
・東ゴート人
・フン人
・西ゴート王国
・東ゴート王国
・ヴァルダン王国
・ランゴバルト王国
・アングロ=サクソン
・フランク王国
重要人物
・アッティラ王
・オドアケル
・テオドリック
・ユスティアヌス帝
ポイント
・フン族が西側に進出したことで、西ゴート族が押し出され、ゲルマン人の移動が本格化した

この記事が、ゲルマン人の移動を理解するさいの参考になれば、うれしいです。

では、また。