どうも、りきぞうです。
大学院では、キャリア論と社会保障を研究していました。
社会人なってからは、予備校講師 → ウェブディレクター → ライターと、いろんな職業にたずさわってきました。
働き方についても、契約社員 → 正社員 → フリーランスと、ひと通り経験してきました。
働くなかで思うのは、自分の市場価値をアップするには「教養」が大切だということ。
・深くものごとを考えられる
こういう人たちは、キホン、教養を身につけています。
教養とは、なにか ─ それは、歴史と古典です。
なかでも、哲学の古典は、王道といえます。
わたしも、計500冊以上、読んできました。
そのなかで、きょうは、キケロ『友情について』を紹介していきます。
以下、[基本 → 概要 → 気になったトコ]の流れでみていきます。
…
ちなみに、岩波文庫の中務訳で読みました。
引用ページ番号は、うえの本によります。
目次
キケロ『友情について』の基本
著者
キケロは、古代ローマ時代の人物。
ローマ帝国の政治家&弁論家であると同時に、ローマ哲学の土台を築いた人でもあります。
この時代、ギリシャ哲学を受けつぐかたちで、ローマ哲学が、深化・確立しました。
それに貢献したのが、政治家・弁論家のキケロでした。
著書
主著の一覧は、こんなかんじ。
・『友情について』
・『義務について』
そのなかでも、本書『ラエリウス ─ 友情について』は、いまでもたくさんの人たちに読まれています。
テーマも具体的で、読めば納得するトコも多いはずです。
キケロ『友情について』の概要
本書は、政治家・哲学者の「キケロ」が執筆していますが、
という設定で、書かれています。
散文で〝つらつら〟記されず、物語のように、口語調で書かれています。
そのため、読むうえでは、かなりとっつきやすいです。
ちなみに、スキピオとは、ポエニ戦争の英雄で、世界史では有名人です。
目次
原書に目次はついてません。
しかし、ありがたいことに、「解説」のトコで、訳者が構成を整理してくれています。
まとめると、こんなかんじです。
06〜16 プロローグ
17〜24 ラエリウスの第一の談話
25 小休止
26〜32 ラエリウスの第二の談話
32 小休止
33〜104 ラエリウスの第三の談話
1〜16で、スキピオとの間がらについて述べます。
17〜以降で、「スキピオとの仲」をベースに、友情一般について説明する、といった内容・構成です。
キケロ『友情について』で気になったトコ
以下、引用をあげつつ、気になった箇所を、ピックアップしていきます。
友情の意義
キケロは、「善き生」をおくるうえで「友情」は必要不可欠だとします。
ここでいう「善き生」とは、ギリシャ思想の伝統ある、〝徳(アレテー)にもとづく人生〟のこと ─ 。
アリストテレスが『ニコマコス倫理学』のなかで、体系的に述べた考えです。
徳にもとづく「善き生」を達成するには、友情は欠かせない ─ キケロはそう主張するわけです。
友情とは、神界及び人間界のあらゆることについての、好意と親愛の情に裏うちされた意見の一致に他ならない、ということだ。そして、それ以上に善きものは、不死なる神々から人間に与えられたためしがないのではあるまいか、知恵を除いてはな。
(no.252)
友人同士の好意の中に安らいを見出さない人生が、どうしてエンニウス* の言うところの「生きるに値する人生」たりえようか。
(no.262)
ひるがえって、友情のあいだで「徳」は輝く
〝徳(アレテー)にもとづく善き生〟によって、友情は不可欠です。
いっぽう、ひるがって、(ほんとうの)友情のなかでこそ、「徳」は発揮される、と指摘します。
[友情 → 善き生]には、徳(アレテー)は必要ですが、〝フィードバック〟するかたちで、たしかな友情がむすばれていれば、ひとりひとりの「徳」が、よりいっそう効力を発揮する ─ そう述べるわけです。
徳はそれどころか多くの局面で、とりわけ友情との関連で、柔軟でしなやかであるので、友の順境に会えばくつろぎ、逆境に会えば身を引き締めるのである。
(no.520)
その効力とは、
・人生はうまくいっていないときには〝はげまし〟をあたえる
というわけです。
友情は、お互いの「弱さ」補うためではない
「え?」と思うかもですが、キケロは、おたがいの「弱さ」「欠落」を補うために、友情はむすぶべきではない、と主張します。
ハッキリとした理由・根拠があるというより、「善き生」にとって、もっとも大切な友情を、〝傷をなめうために〟浪費してはならない、と注意します。
わしには、友情は欠乏からというより人間の本性から生まれるもののように見える。
(no.327)
そのため、
↓
だから、Aさんとツルんで、利益を得よう
という思考法には陥ってはならない、とします。
この意見をふまえれば、
ということにもなります。
つねに〝頼り/頼られる友情〟はダメなわけです。
こんなカンケーは、親交が失われるばかりか、さいあく憎しみのカンケーにも変わるからです。
〔……〕見境なく何でも友人に頼む連中は、頼みまくるということで、自分なら友人のために何でもするつもりであることを公言しているわけだ。その連中の不満のせいで、多年培った親交が消滅するばかりか、永遠の憎しみが生じるのが習いだ。
(no.401)
いまの人からみれば、かなり〝ストイック〟にみえますが、それだけキケロは、友情に価値をおいているわけです。
ふだんの会話&態度には「心地よさ」が必要
そのいっぽうで、ほんとうの友情がむすばれたら、ふだんのつながりには「快適さ」「心地よさ」がともなう、といいます。
会話や生き方の一種の快さが加わらねばならない。それが友情にとってなかなか馬鹿にならない風味となる。厳格で何かにつけて峻厳なのも確かに重みにはなるが、しかし友情というのはもっとくつろいだ、自由な、甘美なものであるべきだし、むしろ人あたりの良さや気やすさの方に近しいのである。
(no.668)
しっかりした友情を築くのは、ムズかしいですが、いったんできあがれば、こんなすばらしいものはありません。
友情をむすびときは「慎重に」
だからこそ、「友情を結ぼうとするとき=友達えらび」は、慎重になれ、と注意をうながします。
〔……〕備えはただ一つ、早まって愛し始めるな、値せぬ者を愛するな〔……〕
(no.758)
口が酸っぱくなるほど言わねばならぬことだが、愛してしまってから判断するのでなく、判断してから愛さなければならない。
(no.794)
なにより気をつけたいのは、〝むかし仲良かったから〟という理由で、そのまま友だちカンケーをつづける必要はない、という点です。
それは、たまたまの環境で親密になっただけで、それが〝ほんとうの友情〟だとかぎらないわけです。
むしろ、若いころより、年をかさね、〝ひとをみる目〟を養ったあとのほうが、ちゃんとした友人を見つけやすい ─ そう指摘します。
概して友情というものは、才能や年齢がしっかりと固まってから判断すべきものだ。若い頃に狩猟やボール遊びに熱中していたとしても、その頃熱烈な遊び仲間として好きだった人を親友にしなければならぬいわれはない。
(no.717)
年齢をかさねるたびに、わたしもそう思います。
思春期・青年期は、世界も視野もせまいので、「いまあるカンケーが大切」と思いがち。
しかし、年を経て、さまざま経験をするうち、むかしより価値ある人物・大切なつながりがみえてきます。
「むかしの友だちは、すべて断ち切れ」とはいいませんが、ムリにつながる必要はありません。
キケロのいうように、たまたま遊んだだけで、それが「ほんとうの友情」のはずは、ないわけです。
おわりに
「友情」という、かなり具体的なテーマをあつかっています。
そのため、実践的で、あしたから役立つ知識が述べられています。
いっぽう、「友情」という視点から、ギリシャ思想の伝統である「善き生」についても述べられています。
アリストテレス『ニコマコス倫理学』では、〝徳(アレテー)にもとづく善き生〟を、整理して、体系的に論じられています。
本書は、その応用編として読むこともできます。
思想の流れをふまえてたどると、より内容を理解できます。
よければ、あわせてチェックしてみてください。
ではまた〜。


