プラトン『ソクラテスの弁明』(光文社)感想&解説です。

どうも、りきぞう(@rikizoamaya)です。

大学院では、キャリア論と社会保障を研究していました。

社会人なってからは、予備校講師 → ウェブディレクター → ライターと、いろんな職業にたずさわってきました。

働き方についても、契約社員 → 正社員 → フリーランスと、ひと通り経験してきました。

働くなかで思うのは、自分の市場価値をアップするには「教養」が大切だということ。

・良いアイデアを出せる
・深くものごとを考えられる

こういう人たちは、キホン、教養を身につけています。

教養とは、なにか ─ それは、歴史と古典です。

なかでも、哲学分野の古典は、王道といえます。

わたしも、計500冊以上は、読んできました。

そのなかで、きょうは、

プラトン『ソクラテスの弁明』

を紹介していきます。

哲学史では、さいしょに登場しますね。

プラトン『ソクラテスの弁明』の基本

著者

著者は、古代ギリシャの哲学者「プラトン」です。

B.C.427年〜B.C.347年まで生きた人です。

著書

主著の一覧は、こんなかんじ。

・『ソクラテスの弁明』
・『クリトン』
・『饗宴』
・『パイドン』
・『国家』
・『法律』

本書『ソクラテスの弁明』は、30代のころに書かれました。

師「ソクラテス」が、裁判で死刑判決を受けるシーンを描きます。

かれの弁明をつうじて、

・魂
・善
・無知

などのテーマを、読み手である、わたしたちが思考・探求できる構成になっています。

ちなみに、「ルポ風」に記述されていますが、裁判記録ではなく、プラトンによる創作です。

プラトン『ソクラテスの弁明』の概要

原書に目次はありません。けれど、ありがたいことに、訳者が、大まかな構成を整理してくれています。

こんなかんじです。

第1部 ─ 告発への弁明
第1~2章 前置き
第3~10章 古くからの告発への弁明
第11~15章 新しい告発への弁明
第16~22章 哲学者の生の弁明
第23~24章 弁明の締めくくり

第2部 ─ 刑罰の提案
第25~28章

第3部 ─ 判決後のコメント
第29~33章

第1部は、訴訟内容にたいするソクラテスの弁明です。

ここがイチバンのメインです。

・ソフィストへの非難
・哲学の理想
・善き生

など、主要なテーマが語られます。

第2部・第3部は、刑罰(死刑)の確定をうけたあとの弁明です。

票数が僅差だったことに驚きつつ、甘んじて、死刑判決を受け入れる理由をのべます。

死への恐れはない ─ 。

むしろ、不当な理由で、自分を訴えた、告発者たちのほうが、裁判のあと、より恐怖を感じるだろう、と指摘します。

プラトン『ソクラテスの弁明』で気になったトコ

以下、引用をあげつつ、気になった箇所を、ピックアップしてみます。

魂への配慮とは?

この本で、イチバン大事なメッセージは、「魂への配慮」という考えです。

どんな立場であっても、人間(=市民)であるかぎり、

つねに、みずからの魂を観察・考慮して、生きていくべきだ

と主張します。

コレは、このときのソクラテスのように、死刑判決を受ける被告人だからではありません。

つねに、「魂への配慮」を意識して、過ごすべきだ、ということです。

では、「魂への配慮」とは、どんな「ふるまい」でしょうか。

あるシーンで、こんなふうに主張します。

『世にも優れた人よ。あなたは、知恵においても力においてももっとも偉大でもっとも評判の高いこのポリス・アテナイの人でありながら、恥ずかしくないのですか。金銭ができるだけ多くなるようにと配慮し、評判や名誉に配慮しながら、思慮や真理や、魂というものができるだけ善くなるようにと配慮せず、考慮もしないとは』と。(0548)

まず、「金銭」「評判」「名誉」をベースにした「魂の活用」は止めるよう訴えます。

かわりに、「徳(アレテー)」にもとづく、「魂の活用&行動」をおこなうよう、さとします。

私は歩き回って、あなた方の中の若者であれ年長者であれ、魂を最善にするように配慮するより前に、それより激しく肉体や金銭に配慮することがないようにと説得すること以外、なにも行っていないからです。こう言ってです。『金銭から徳は生じないが、徳にもとづいて金銭や他のものはすべて、個人的にも公共的にも、人間にとって善きものとなるのだ』と。(0561)

ソクラテスは、「徳(アレテー)」について、踏みこんでいません。

ひとまず、(告発者たち=ソフィストのように)、「金銭」「評判」「名誉」を動機づけとした、思考・行動は、とらないよう、言いつづけます。

とにかく、「魂」が健全に働くように気をつけて、思慮深く、行動するよう、うながします。

そして、ひとつひとつのアクションが、「魂の良し悪し」を決めるわけです。

この点について、訳者の……は、こう解説します。

私たちがしがみついているのは、結局「肉体」(ソーマ)であり「物」(ソーマ)ではないか。それに対して、真に配慮すべきなのは、思慮が働き真理が求められる場、つまり「魂」(プシュケー)とでも呼ぶべき地平ではないか。そこでは、量の多い少ないではなく、善い悪いの価値が問題となり、「できるだけ善くなるように」という配慮がなされる。(1649)

ちなみに、この「徳(アレテー)」について、さらに〝深堀りして〟考えたのが、次世代の「アリストテレス」でした。

『ニコマコス倫理学』において、「徳」をもとにした思考・行動とはなにか、それにともなう「善き生」とは、なにかを探求するわけです。

死を免れるのはカンタンだが、劣悪さから逃れるのはムズかしい

ちなみに、個人的に、グッときた指摘・主張は、コレでした。

死刑判決を受けたあと、「善き生」「善き魂」を語るシーンで、このような考えをのべます。

「死」をもちだし、くらべつつ、「善良な生 / 劣悪な生」について、思考を展開するわけです。

死から逃れることは、皆さん、難しいことではありません。ですが、劣悪さを免れることはずっと難しいのです。それは死より走るのが速い。そして今私は年をとっていて走るのも鈍いので、より鈍いものによって有罪にされましたが、私の告発者たちは手強くて鋭いので、より素早いもの、つまり悪徳によって捕えられたのです。(0868)

告発者たち(=ソフィスト)を〝ディスり〟ながら、

・死を免れるのは、そこまでムズかしくないこと
・それより、劣悪を避けるほうが、ムズかしいこと
・よって、「善の追求」は、さらにムズかしいこと

を、指摘するわけです。

こんなふうに、「魂への配慮」「善き生」などについて、さまざま語り口(=レトリック)をつかって、議論を深めていくわけです。

おわりに

哲学の歴史は、プラトンからはじまります。

数ある主著のなかでも、『ソクラテスの弁明』には、かれのエッセンスがつまっています。

・善き生 / 悪しき生
・魂への配慮
・哲学のあり方

など、ギリシャ哲学の本質が、あらわれています。

「裁判での弁明」という、わかりやすいシーンを設定することで、読み手が〝すんなり〟、哲学の世界に入っていけるよう工夫されています。

分量も、文庫で100ページほどしかなく、1時間もあれば、読めてしまいます。

哲学の入口としては、ピッタリです。

よければ、チェックしてみてください。

ではまた〜。