どうも、りきぞうです。
大学のころから、哲学に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・哲学書にあたってきました。
プラトンの哲学にも、ふれてきました。
同じように、知りたいなぁと思っている人もいるかと。
とはいえ、
・プラトン思想のポイントは?
・かれの残した名言は?
─ こんな悩み&疑問をいだく人も多いはず。
そこで、この記事では、プラトンの考えをみていきたいと思います。
先に結論をいうと、つぎのとおり。
りきぞう
・「イデア」をキーワードに、独自の思想を展開した
・イデア or 魂について「知を愛し求める哲学者の魂は、とりわけ肉体を軽視して、肉体から逃れ、魂それ自体となることを追求する」といった名言を残している
以下、目次にそって、[著者 → ポイント → 名言]の順でみていきます。
…
ちなみに、参考にしたプラトンの本は、こちら。
引用ページも、本書によります。
目次
著者
ギリシャの哲学者で、BC.427〜BC347年に生きた人です。
ソクラテスを師として、哲学を学び、アカデメイア(ギリシャ郊外)に学園を創設しました。
「イデア論」を軸に、徳・愛・政治について、対話形式で述べています。
主著は、『ソクラテスの弁明』『饗宴』『パイドン』『国家』など。
西洋哲学のベースをつくった人物です。
現在では、「西洋哲学のほとんどは、プラトン哲学の注釈にすぎない」と言われるほどです。
ポイント ─ 「イデア」
『パイドン』にしぼって、プラトン思想について、みていきます。
ポイントは、「イデア」です。
カンケツにまとめると、つぎのとおり。
図解説明
ひとは、「完全な三角形」をつくりだせない。
にもかかわらず、それを理解でき、頭のなかで、思い描くことができる。
実体としてはないが、思考のうえで存在するものを「イデア」とよぶ。
三角形には三角形の、家には家の、馬には馬の「イデア」が存在する。
家にはさまざまな種類があるが、すべてに共通した「家のイデア」が隠れている。
もちろんそのままでは、イデアは見ることはできない。
けれど、理性を正しくつかえば、イデアを理解&判断できる。
美 or 正義をふくめて、すべてのモノ&コトには、イデアが隠されている。
そのなかで、もっとも高い位置にあるのが「善のイデア」である。

ひとこと
肯定するにせよ、否定するにせよ、ここから西洋哲学は、「イデア」をめぐって議論が展開されます。
たとえば、
・カント → 「物自体」
・ヘーゲル → 「絶対知」
など、それぞれの哲学者は、「絶対的なもの」「一元的なもの」を前提にして、論理を組み立てていきます。
そして、「一元的なものの見方」をおこなってしまう背景&錯誤を〝あばいた〟のが、ニーチェになります。
いっぽう、『パイドン』の翻訳者「納富信留」さんによると、プラトンは全著作のなかで、イデアについて、体系立てて論じていないそうです。
のちの人たちが言うほど、「イデア」を全面に押し出していないみたいです。
どうやら、プラトンの弟子「アリストテレス」が、「イデア論」を体系化したそう。
哲学史の流れをふまえ、「イデア」の受けとり方も、今後いろいろ変わってくるかもですね。
名言
つぎに、プラトン( or ソクラテス)の名言をあげていきます。
イデアへの言及
〔ソクラテス〕「もっとも立派に理性を働かせるのは、きっと、視覚も聴覚と、どんな苦痛も快楽よも、こういったなにものも魂を煩わせて逸らさない場合、そして、魂が肉体に別れを告げて最大限にそれ自体となり、可能なかぎり肉体と妥協せず接触もしないで、あるという実在に達する、その時なのだ」(p.47-48)
─ 『パイドン』65 C
ここが、プラトンがソクラテスの口を借りて、『パイドン』で「イデア」についてふれた、さいしょの部分です。
じかに「イデア」とは述べてませんが、「あるという実在」というフレーズが、「イデア」をさしています。
セリフからもわかるとおり、肉体(身体)/理性(精神)を区別したうえで、〝カラダをこえたところ〟に「イデア」がある、と想定しています。
これ以後、『パイドン』では、
2 感覚から想起する「根源」
3 生成との対概念である「不変」
にふれる場面で、「イデア」が登場します。
けれど、くりかえし述べるとおり、プラトンはそこまで「イデア」について、積極的&体系的には、論じていません。
すこしばかり〝ふれている〟程度です。
どちらかといえば、「魂の不死」がメインテーマです。
そもそも『パイドン』が、ソクラテスがまさに死刑を受けいれ、「いま死なん」とする場面ですので。
「魂の実在性」を説得するために「イデア」が、導入されているかんじです。
もちろん、イデアについて言及しているには、まちがいありませんが。
「したがって、この点でも、知を愛し求める哲学者の魂は、とりわけ肉体を軽視して、肉体から逃れ、魂それ自体となることを追求するのではないかね。」
「そのとおりです。」(p.48)
─ 『パイドン』65 C-D
魂の不死
「では答えてくれ」とソクラテスは言いました。「肉体に何が生じると、生きているものになるのか。」
「魂が生じるからです」と彼は言いました。
「それでは、これは、つねにそうなのかね」
「どうしてそうではないことがありましょうか」とケベスは言いました。
「それでは、魂が占拠するものはなんであれ、つねにそのもの〈生〉をもたらすために、魂はやって来ているのではないか」
「たしかに、そのために来ています」
「では、なにか〈生〉と反対のものがあるだろうか。それとも、なにもないのだろうか」
「ありますとも」とケベスは言った。
「それは何だね」
「〈死〉です」
「それでは、魂は、自分がつねにもたらすものにたいして反対であるものを、けっして受け入れはしないのだ。前の議論で示したように」
「いや、まったく、たしかにその通りです」とケベスは言いました。(p.216)
─ 『パイドン』105 C-D
ラストふきんで、ソクラテス( or プラトン)は、「魂の不死」について結論を出します。
もちろん、このやりとりだけをみただけでは、納得できないと思います。
「前の議論で示したように」というトコが大事でして、
・ひとつ/たくさん
など、この結論にいたるまで、形而上学的(論理学的)なやりとりをくりかえして、「魂の不死」を納得させる構成になっています。
じつは、そこでの議論が読みどころであり、いちばんムズかしい箇所です。
読んでみたらわかりますが、めちゃくちゃ頭をつかいます。
数学の問題を解いている感覚にちかく、ある程度、余裕がないと、投げ出してしまうと思います。
そのあたりを覚悟して、本書にあたってみてください。
「納富信留」さんいわく、『パイドン』が、読者の〝つまずきの石〟になっている理由が、よくわかります(笑)
まとめ
まとめると、
りきぞう
・「イデア」をキーワードに、独自の思想を展開した
・イデア or 魂について「知を愛し求める哲学者の魂は、とりわけ肉体を軽視して、肉体から逃れ、魂それ自体となることを追求する」といった名言を残している
ぜひ、プラトンの思想を知るうえで、参考にしてみてください。
ではまた〜。


