どうも、りきぞうです。
大学のころから、哲学に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・哲学書にあたってきました。
スピノザの哲学にも、ふれてきました。
同じように、知りたいなぁと思っている人もいるかと。
とはいえ、
・スピノザ哲学のポイントは?
・かれの残した名言は?
─ こんな悩み&疑問をいだく人も多いはず。
そこで、この記事では、スピノザの考えをみていきたいと思います。
先に結論をいうと、つぎのとおり。
りきぞう
・「汎神論」「永遠の相の下」をキーワードに、独自の思想を展開した
・感情について「あるものを善と判断するのは、そもそもわれわれが、それにむかって努力し、意欲し、衝動を感じ、あるいは欲求するからである」などの名言を残している
以下、目次にそって、[著者 → ポイント → 名言]の順でみていきます。
…
ちなみに、参考にしたスピノザの本は、こちら。
引用ページも、本書によります。
目次
著者
スピノザは、オランダ人で、1632年〜1677年に生きた人です。
かれの哲学理論は「汎神論」とされてきました。
スピノザの汎神論は、のちの「無神論」「唯物論」に影響をあたえます。
そのため本人は否定しながらも、生前から「無神論者」のラベルをはられ、異端視されました。
主著は『エチカ』。
スピノザの死後に出版された作品です。
テーマは、宗教・倫理について。
神・精神・宗教・倫理について、ユークリッド幾何学の形式にもとづき、演繹的に論証していきます。
大見出しで、「定義」「公理」が示されます。
そのうえで、「定理 → 証明 → 結論」の順で、記述されます。
具体的には、
・心理学
・認識論
・感情論
・倫理学
のながれで、はなしがすすみます。
ご存知のとおり、めちゃくちゃ難しいです。
哲学の古典のなかでも、難易度はトップクラスです。
ポイント ─ 「汎神論」「永遠の相の下」
主著『エチカ』にしぼって、スピノザの思想をみていきます。
ポイントは、「汎神論」「永遠の相の下」です。
カンケツにまとめると、つぎのとおり。
図解説明
あらゆるものには理由があり、それ以上さぐれない究極的な原因もある。
これを「自己原因(causa sui)」と定義する。
自己原因においては、実体・神・自然は、すべて等しい。
神は、無限の属性を備えている。
いっぽう、自然における万物は、神はそなえる無限属性のすがたとして、あらわれている。
「神即自然(deus sivi nature)」であり、「汎神論」の立場をとる。
そのため、ひとに出来事&経験は、自然の一部であり、人間の自由意志によるものではない。
自由意志と考えているものは、慣性(=コナトゥス)の働きにすぎない。
あらゆるものごとは、永遠のなかの1コマにすぎず、「永遠の相の下」におかれている。

ひとこと
キリスト教は、神/自然を区別し、神が自然をつくった、と考えます。
いっぽうスピノザは、神=自然として、両者は等しいと考えます。
そのため、キリスト教会から、ものすごい批判をあびました。
また、スピノザ以前の哲学者「デカルト」は、精神/身体を区別する二元論の立場をとります。
スピノザは、身体も精神も神の1つと考える一元論の立場をとるため、デカルト哲学とも対立することになります。
さらには、人間の自由意志も否定するため、近代社会のベースといえる「自己決定権」とも、相容れません。
どの立場とも対立しているようにみえるスピノザ哲学ですが、よくよく考えると、そこまで〝ぶっ飛んだ〟思想でもありません。
むしろ、神=自然をとみなす民族・社会のほうがフツーです。
アニミズム思想にちかい日本でも、スピノザの考えは、わりとすんなり理解できるかなぁと思います。
とはいえ、主著『エチカ』が難解な書物であることはたしかです。
ポイントをみるとカンタンですが、読みすすめると、かならずつっかえます。
おすすめは、「感情」をテーマした第3部から読むこと。
1部・2部にくらべて身近なことをあつかっているので、スピノザがどんなことを考えていたのか、わりと理解できます。
はじめから順々に読もうとせず、気になったところから、ちょくちょく目をとおすのが、おすすめです。
名言
つぎに、スピノザの名言をあげていきます。
感情について
感情とは、身体そのもの活動力を増大させたり減少させたり、あるいは、促したり抑えたりするような身体の変様であると同時に〔……〕変様の観念であると、わたしは理解する。こうしてもし、われわれがこのような変様のどれかの十全な原因でありうるならば、その場合の感情を、わたしは「能動」と解し、それ以外の場合「受動」と解する。(p.176)
─ 『エティカ』第3部 定理3
スピノザの「感情」の捉え方は、とてもユニークです。
わたしたちは、なにかを認識して、それをもとに、怒り・喜びを感じると考えます。
つまり、「主観/客観」図式で、感情を捉えます。
いっぽうスピノザは、もともと身体にそなわる活動力(=コナトゥス)の増大/減少から、感情を捉えます。
活動力が促成するなら「喜び」、抑制されるなら「怒り」「悲しみ」と考えます。
くわえて、すべて自分に原因がある場合には「能動」、一部の場合には「受動」と定義します。
つまり、自由意志を否定しつつも、ひとが本来もつ活動力(=コナトゥス)は、肯定するわけです。
ここにスピノザの魅力があります。
「主観/客観」図式のように、外部の影響から感情が〝揺さぶれる〟状態を、「受動である」として否定。
外側はカンケーありません。
すべて「自己原因」であり、そうとらえるとき、努力・意欲・衝動などの能動性が発揮されます。
その状態を「善」とします。
ここからも、スピノザの思想は、かなりポジティブなものだとわかります。
〔……〕われわれはどのような場合にも、ものを善と判断するから、そのものへ努力し、意欲し、あるいは、衝動を感じ、あるいは、欲求するのではない。むしろ反対に、あるものを善と判断するのは、そもそもわれわれが、それにむかって努力し、意欲し、衝動を感じ、あるいは欲求するからである。(p.193)
─ 『エティカ』第3部 定理9 注解
善/悪の相対性
善と悪に関しても、それらは、ものそれ自体で考察されるかぎり、そのなかになんら積極的なものを示さない思惟の様態、すなわち、ものをたがいに比較することから形成される概念にほかならない。というのは、同一のものが、同時に善であったり悪であったり、またその両方に無関係でありうるからである。(p.298)
─ 『エティカ』第4部 序文
善悪の考え方も、かなりおもしろいです。
まず、絶対的な善/絶対的な悪などは存在せず、すべては〝移ろいゆくもの〟と考えます。
たとえば、きのう「善い」と思われていたものは、あすになれば「悪い」ことになることは、しばしばおこります。(逆もまたしかり)
では、善/悪をどう捉えるのか。
それは、「人間本性」をおいたうえで、そこへ向かう動き(と、その手段)を「善」、そこから離れる動き(と、その障害)を「悪」とします。
〔……〕わたしは善という概念をつぎのような意味に解する。すなわち善とは、われわれの念頭にある人間本性の典型に、ますます接近してゆくための手段として、われわれが確知しているもののことである。これに反して、「悪」とは、この同じ典型に合致することをさまたげるものとして、われわれが確知しているもののことである。(p.298)
─ 『エティカ』第4部 序文
もちろん「人間本性」そのものは、人間の知性・理性では認識できません。
しかし、そこに向かって〝動くこと〟はできます。
人間本性への接近/解離から、善/悪をとらえるわけです。
この視点は、ほんとにおもしろく、ユニークだなぁと思います。
とくに、いまは善/悪の定義が、あいまいな時代です。
そのなかで、(とりあえずの)あなたなりの人間本性をおいて、そこに向かっている/離れているで、善/悪を考える。
自分なりの「ものの見方」を築くうえで、参考になりそうです。
まとめ
まとめると、
りきぞう
・「汎神論」「永遠の相の下」をキーワードに、独自の思想を展開した
・感情について「あるものを善と判断するのは、そもそもわれわれが、それにむかって努力し、意欲し、衝動を感じ、あるいは欲求するからである」などの名言を残している
ぜひ、スピノザの哲学を知るうえで、参考にしてみてください。
ではまた〜。


