どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?
きょうは、この問いに答えていきます。
答えは、つぎのとおり。
・正統主義
・神聖同盟
・四国同盟
・タレーラン
・アレクサンドル1世
この記事では、つぎの本を参考にしました。
ウィーン体制とは、
正統主義とヨーロッパの勢力均衡を目的とする保守体制
のことです。
以下、[形成 → 展開]の流れで、ウィーン体制のなかみをみていきしょう。
目次
ウィーン体制① ─ 形成

ウィーン体制は、名まえのとおり、ウィーン会議をきっかけに始まります。
議長はオーストリアの外相メッテルニヒで、会議では、
・勢力均衡
という考えのもと、さまざまな条約項目が決められていきました。
正統主義とは、
のことです。
かんたんいえば、フランス革命で達成された人民の権利は無視して、もともとあった国王優先の政治体制にもどそう、という働きかけでした。
ウィーン議定書
ウィーン会議の決定は、ヨーロッパ各国にさまざまな影響をあたえました。
まとめると、つぎのようになります。
→ 王政復古=ブルボン朝の復活
イギリス
→ セイロン島&ケープ植民地の獲得
オランダ
→ 立憲王国の復活、南ネーデルラント(ベルギー)の獲得
オーストリア
→ ロンバルディア&ヴェネツィアの獲得
スイス
→ 永久中立権の獲得
ロシア
→ ポーランド王の兼任、フィンランド&ベッサラビアの獲得
みてわかるとおり、ウィーン会議の結果、ヨーロッパはフランス革命以前の政治状況に回帰しました。
おもしろいのは、すべての参加国がナポレオンを敵視するいっぽう、その裏では領土問題や経済覇権をめぐり、それぞれの国が騙し合いに近い交渉をつづけた点です。
のちの「秘密外交」とよばれるかけひきは、このときからすでに始まっていました。
なお、対ナポレオンのために結成されたライン同盟は廃止され、代わって、35の君主&4つの自由都市から構成されるドイツ連邦が成立しています。
ドイツもまた革命以前の領邦国家へもどってしまいました。
ウィーン体制② ─ 展開

ウィーン体制のもとでは、各国でおこる自由主義運動&ナショナリズム運動は、徹底的に弾圧されます。
ここでいう自由主義とは、政治的な意味では、
をさします。
経済的な意味では、
をさします。
いっぽうナショナリズムとは、
をさします。
自由主義もナショナリズムも、王国を最優先に考える正統主義とはまっこうから対立するため、ウィーン体制以後は、ふたつの考えにもとづく運動は、徹底的に弾圧されていきます。
じっさいに「革命の第一波」とよばれた1820年前後には、
・スペイン立憲革命
・カルボナリ(イタリア)
・デカブリストの乱
などの自由主義運動が各国の軍隊により鎮圧されています。
神聖同盟&四国同盟
ウィーン体制のもとでは、2つの同盟がむすばれます。
四国同盟
です。
神聖同盟はロシアのアレクサンドル1世による提唱からむすばれました。とはいえ、条約そのものには明確な目的がなく、〝精神的な意味合い〟をたぶんに含むものでした。
そのため、実利ベースで動くイギリスや、そもそも宗教や思想の面で相容れないローマ教皇やオスマン帝国は、この同盟に参加しませんでした。
いっぽうの四国同盟は、
・オーストリア
・プロセイン
・ロシア
のあいだでむすばれたもので、こちらは革命抑止を目的とした政治&軍事同盟でした。
死してなおナポレオンの影響はつよく、自由主義運動 or ナショナリズム運動は、ヨーロッパ各地でくりかえされていました。
フランス革命のような〝反逆〟がおきないよう、穏健な議会制をとるイギリス主導のもと、同盟がむすばれます。
なお、1818年には革命の震源地だったフランスも参加し、のちに「五国同盟」とよばれることになります。
おわりに
ウィーン体制をみてきました。
まとめると、こんなかんじです。
・正統主義
・神聖同盟
・四国同盟
・タレーラン
・アレクサンドル1世
この記事が、ウィーン体制を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。
では、また。




