どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?
きょうは、この問いに答えていきます。
答えは、つぎのとおり。
・コンスタンティノープル教会
・首位権
・ゲルマン布教
・修道院運動
・モンテ=カシノ
・ベネディクトゥス
この記事では、つぎの本を参考にしました。
以下、目次に沿って、みていきます。
目次
ローマ=カトリック教会の形成

ローマ帝国がキリスト教を国教にしたころ、領内には大きな教会が5つありました。
5つの教会は五本山とよばれていました。
すべてあげると、つぎのとおり。
・コンスタンティノープル
・アンティオキア
・イェルサレム
・アレクサンドリア
このうちローマ教会は、ペテロが建てたとされ、彼の後継を自任し、教会のトップとして教皇を名のりました。
いっぽうコンスタンティノープル教会は、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の皇帝が支える体制をとります。
以降、キリスト教の権威と権限をめぐり、ローマ教皇とビザンツ皇帝は、たびたび対立するようになります。
ローマ=カトリックの進展

ふたつの教会が争っているころ、あたり一帯では、ゲルマン人の移動がくりかえされていました。
そのなかでも、東ローマ帝国に支えられたコンスタンティノープル教会は、なんとかゲルマン人の侵攻をまぬがれ、安全をたもっていました。
いっぽうローマ教会のある西ローマ帝国は、たびたびゲルマン人の侵攻に合い、くわえて大移動の原因でもあったフン人にも、侵略されそうになります。
そんなフン人の族長アッティラ王を説得したのが、ローマ教皇レオ1世でした。暴力にうったえず、話し合いでもって、アッティラの侵攻をくいとめます。
この功績により、レオ1世は首位権を主張します。首位権とは、
のことです。
レオ1世は首位権を主張することで、ローマ=カトリック教会の権威を高めようとしました。
しかしその後、西ローマ帝国が滅亡すると、ローマ教会は後ろ盾をなくし、唯一の皇帝となったビザンツ皇帝に服従することになります。
以降、コンスタンティノープル教会が、ローマ教会よりも優勢になっていきます。
ローマ=カトリックの発展

そののち100年経って、ローマ=カトリック教会は、権威の向上にはげみます。
ときの教皇グレゴリウス1世は、民族移動がおちついたゲルマン部族にたいして、布教活動をはじめます。
派遣された宣教師は、ガリア一帯をめぐり、さいごはブリタニアにまでたどりつきました。
かたちのうえでは、アングロ=サクソン人にまでローマ=カトリックの教えが広まったわけです。
修道院運動
布教活動において大きな役割をはたしたのが、修道院運動でした。
もともと修道院は、ベネディクトゥスが、中部イタリアのモンテ=カシノで創設したものです。
そこで彼は「清貧・貞潔・服従」を中心とした戒律(=聖ベネディクトゥス戒律)を制定します。
そのうえで「祈れ、働け」をモットーに、みずから経済的に自立した修道院のお手本となっていきました。
ベネディクトゥス修道院がしめした模範がひろまり、ゲルマン部族が住む各地に、キリスト教が広まっていくことになります。
おわりに
中世初期のローマ=カトリック教会についてみてきました。
まとめると、こんなかんじです。
・コンスタンティノープル教会
・首位権
・ゲルマン布教
・修道院運動
・モンテ=カシノ
・ベネディクトゥス
この記事が、ローマ=カトリック教会を理解するさいの参考になれば、うれしいです。
では、また。