清朝末期 ─ 開国・近代化・腐敗・アヘン戦争・南京条約・アロー戦争・天津条約・太平天国の乱・洋務運動

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・清朝末期の開国&近代化について知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・白蓮教徒の乱
・三角貿易
・アヘン戦争
・南京条約
・望厦条約/黄埔条約
・アロー戦争
・天津条約
・北京条約
・太平天国の乱
・滅満興漢
・郷勇
・洋務運動

重要人物
・マッカートニー
・林則徐
・洪秀全
・曽国藩
・李鴻章
ポイント
・清国との貿易赤字に苦しむイギリスは、アヘン戦争とアロー戦争をおこし開国をもとめた
・近代化をすすめた洋務運動は中体西用におちいり、改革は中途半端なものにおわった

この記事では、つぎの本を参考にしました。

清朝末期① ─ 白蓮教徒の乱

白蓮教徒の乱

ヨーロッパ諸国による外圧がつよまるまえ、すでに清朝国内では動揺がおきていました。

おもな要因は、

・人口増加による貧困化
・三角貿易による銀の流出

の2つです。

乾隆帝時代の後期になると、宮廷政治の腐敗とあいまって、人口の急激な増加から、人びとのあいだで土地不足が深刻になります。

くわえて、それまでの開墾がゆきすぎていたために、農作物が取れず、農民は窮乏化していきます。

そんな民衆の苦しみの背景にしておきたのが白蓮教徒の乱でした。

清朝軍は約5年をかけて鎮圧したものの、八旗制をとる正規軍の弱さをさらしてしまい、その結果、人びとの信用を失っていくことになります。

いっぽう貿易にかんしては、清朝成立以来、ヨーロッパ船の来航は広州港のみに制限し、そのさい「公行」とよばれる特許商人組合が利益を独占していました。

いっぽう貿易相手国であるイギリスは、東インド会社主導のもとで茶・絹・陶磁器を輸入するばかりで、つねに赤字の状態でした。

そこでイギリスは清朝にたいして自由貿易を要求します。しかし、マカートニーやアマーストが何度も訪れて交渉するものの、清朝側はいっこうに認めようとしません。

しびれを切らしたイギリスは三角貿易に乗りだし、インドのアヘンを輸出して赤字を解消する策に出ます。

その結果、アヘンの需要が増大した清国からは銀が大量に流出し、黒字から一転、赤字財政に悩まされることになります。

清朝末期② ─ アヘン戦争

アヘン戦争

清国が動揺するなかで起きたのがアヘン戦争でした。

以下、[背景 → 影響]の流れで、戦争のなかみをみていきましょう。

背景

さきにのべたとおり、清国ではアヘンを吸う人が急増し、需要の増大から国内から銀がどんどん流出していきます。

財政難におちいった清朝は、地租を銀納ににかえて体制を整えようとしますが、たんに農民の負担を増やすだけで、うまくいきません。

そこで王朝は道光帝と林則徐を釿差大臣に就けたうえで、貿易港とある広州に派遣します。

そのさいイギリスからのアヘンをすべて没収&破棄したうえで、アヘン貿易をいっさい禁じる命令を下します。

この動きに反発したイギリスは、自由貿易の要求を口実に、議会の承認をを得たうえま、遠征軍を派遣します。

これにより起きたのがアヘン戦争でした。

戦いそのものは、高い海軍力をもつイギリスが優位にすすめ、約2年後に英国勝利で幕を閉じます。

影響

問題は、戦争の展開ではなく、その影響でした。

敗北した清朝は南京条約をむすび、

・香港島の割譲
・五港の開港(広州・上海など)
・賠償金の支払い
・対等外交

などを一方的に確約させられました。

またその翌年の虎門寨追加条約では、

領事裁判権
片務的最恵国待遇
関税自主権の喪失

を約束させられます。

みてわかるとおり、どちらも完全な不平等条約でした。

さらにその2年後には「租界」とよばれるイギリスがすべての行政権を掌握できるエリアを設置させられます。

そののち租界は清国各地に設けられ、ヨーロッパによる植民地化支配の足かがりとなっていきます。

なお、清朝は、

・アメリカ → 望厦条約
・フランス → 黄埔条約

といったかたちで、米仏とも不平等条約を締結させられています。

清朝末期③ ─ アロー戦争

円明園を略奪するイギリス&フランス軍

南京条約を結び、大きな貿易利益を獲得したとはいえ、清国のあいだでイギリス製品がなかなか浸透しません。自由貿易を拡大するため、アヘン戦争後もイギリスは経済圧力をつよめていきます。

そのなかでおきたのがアロー戦争でした。

直接のきっかけは、イギリス船籍を主張する中国人乗組員を、清朝政府が逮捕したことです。逮捕を本国にたいする侵犯行為とみなしたイギリスは、報復措置として清朝に戦争をしかけます(そのさいフランス軍も自分の仲間に入れました)。

船の名まえから、このできごとを「アロー事件」とよび、事件をきっかけに発展した戦争を「アロー戦争」とよびます。

アヘン戦争と同じく、戦いそのものはイギリスとフランスの圧勝におわりました。

その後、むりやり締結させられた天津条約に不満をもった清朝は、批准のために訪れたイギリスとフランスの使節を砲撃します。

この態度に憤慨したイギリスとフランスは戦争を再開し、北京を占領したうえで、清朝のシンボルである円明園をうちこわし、高価な品々を根こそぎ奪っていきます。

相手を黙らせたイギリスとフランスは、あらためて北京条約をむすび、

11港の開港(天津など)
キリスト布教の自由化
イギリスへの九竜半島の割譲
外国公使の北京常駐

などを約束させます。

さらにその翌年には総理各国事務衙門を設置し、それまでの〝中華帝国を上位とする関係〟から、対等外交へと転換させます。

これにより華夷思想にもとづく冊封体制や朝貢貿易はくずれ、数ある国のひとつとして、まわりの国と関係をきずくことになります。

清朝末期④ ─ 太平天国の乱

太平天国の乱

あまりにふがいない清朝に対して、人びとのあいだから改革の動きがあらわれます。そのひとつが太平天国の乱でした。

反乱の背景には、アヘン戦争の敗北による重税と、銀流出に伴う農民の貧困化がありました。

洪秀全が主導者となってキリスト教宗教結社である拝上帝会を組織します。

反乱は広西省金田村での蜂起から始まり、かれらは南京を占領したのち「天京」と改称したうえで、そこを拠点に長江以南を制圧していきます。

そのさい反乱グループは「滅満興漢」をとなえながら清朝打倒をかかげ、

・儒教の排斥
・辮髪&纏足の禁止
・男女平等

などの反清朝政策をつぎつぎおこないました。

また「天朝田畝制度」とよばれる農業政策を打ちだし、土地を均等に分けてうえで、民衆への農地の貸し出しや譲渡を実施しました(ただし、本格的にはなされずに、中途半端なままで終わってしまいました)。

約10年にわたる反清活動も、けっきょくは終わりをむかえます。その要因は、組織の内部崩壊でした。

また「郷勇」とよばれる義勇軍の勢力が台頭し、

・曽国藩(漢人官僚)
・李鴻章(淮軍リーダー)

といった人物が活躍するようになります。それにより太平天国の組織は、その権勢がじょじょに失われていきます。

さらにアロー戦争終結後に、欧米列強が清朝を支援したのも反乱軍の崩壊につながりました。

・フォード(アメリカ)
・ゴードン(イギリス)

を軍事リーダーとする常勝軍が活躍し、反乱組織の拠点だった天京が鎮圧されます。これにより、反乱運動は終焉をむかえ、太平天国の組織も崩壊します。

とはいえ、太平天国の乱の影響は大きく、

・弱い清朝軍の露呈
・漢人官僚の勢力拡大
・近代化にともなう民族運動

をもたらすことになります。

清朝末期⑤ ─ 洋務運動

福建省福州の造船所

民衆側からの反乱があるいっぽう、王朝内部からも改革の声があがります。

そのひとつが洋務運動です。

これは、

欧米技術の導入したうえでの富国強兵策

でした。

中心となったメンバーは、曽国藩や李鴻章など、太平天国の乱を鎮圧した軍人たちでした。

かれらは圧倒的なヨーロッパの軍事力を痛感し、西洋式の軍隊を取り入れなければ清朝の存続はあやぶまれると考えていました。

そこで、トップ主導で近代化政策にとりかかり、

・近代兵器の製作
・鉄道の敷設
・紡績&造船&製鉄工場の建設

などをつぎつぎおこなっていきます。

しかしその成果はかんばしくありませんでした。

ヨーロッパを見習うといっても技術の導入ばかりで、中国伝統の社会体制や政治のしくみをそのまま温存させたからです。

このような政治態度を「中体西用」とよびます。

じっさい、先に近代化をすすめた日本との戦争(日清戦争)で敗れると、洋務運動の失敗はあきらかとなります。そのため、日清戦争での敗北以降は、近代化改革はいったんストップすることになります。

おわりに

清朝末期の開国と近代化をみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・白蓮教徒の乱
・三角貿易
・アヘン戦争
・南京条約
・望厦条約/黄埔条約
・アロー戦争
・天津条約
・北京条約
・太平天国の乱
・滅満興漢
・郷勇
・洋務運動

重要人物
・マッカートニー
・林則徐
・洪秀全
・曽国藩
・李鴻章
ポイント
・清国との貿易赤字に苦しむイギリスは、アヘン戦争とアロー戦争をおこし開国をもとめた
・近代化をすすめた洋務運動は中体西用におちいり、改革は中途半端なものにおわった

この記事が、東南アジアの植民地化を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。