どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?
きょうは、この問いに答えていきます。
答えは、つぎのとおり。
・シトー修道会
・叙任権闘争
・カノッサの屈辱
・フランチェスコ修道院
・ドミニコ修道会
・ハインリヒ4世
・ウルバヌス2世
・イノケンティウス3世
この記事では、つぎの本を参考にしました。
以下、目次に沿って、みていきます。
目次
教皇権の歴史① ─ 教会のしくみ

ゲルマン人による国がつくられていく状況にあわせて、ローマ=カトリック教会は、西ヨーロッパ世界で普遍的な権威となっていきます。
教会は、土地や財産の寄進をうけて、封建領主のような立場となりました。
しかし、経済力をつけるいっぽう、
・聖職の売買
・世俗領主への介入
などが、教会のあり方として問題になっていきます。
教皇権の歴史② ─ 教会改革運動

これらの問題を解決すべく、ローマ=カトリックの内部から改革運動がおこります。
おもな担い手は、つぎの3者です。
- クリュニー修道院
- シトー修道会
- 教皇グレゴリウス7世
それぞれの施策をみていきましょう。
クリュニー修道院
クリュニー修道院は、10世紀前半、フランス東南部に設立されました。
当初から教会革新運動の中心地で、
・聖職売買の禁止
・聖職者の妻帯禁止
を第一に掲げて、実行していきました。
シトー修道会
こちらは、11世紀ごろ、フランス中部に設立されました。
クリュニー修道院のモットーをふまえながら、清貧と勤労をなにより重視し、大開墾運動をおしすすめました。
教皇グレゴリウス7世
グレゴリウス7世は、11世紀後半に就任した教皇です。
彼は、教会トップの立場から、聖職売買の禁止など、積極的に教会改革運動をおこないました。
そのいっぼうで、ヨーロッパ一帯での権威をまもるために、各地の国王や諸侯を相手に、聖職叙任権をめぐり、たひたび争いました。
その最たるものが、つぎの叙任権闘争です。
教皇権の歴史③ ─ 叙任権闘争

叙任権闘争とは、名まえのとおり、
です。
以下、背景 → 展開 → 影響の流れでみていきます。
背景
争いのきっかけは、ときの神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ4世が、みずからに有利な教会政策をむりにおしすすすめたことでした。
皇帝の強引な政策に、怒りをあらわにした教皇グレゴリウス7世は、ハインリヒ4世にたいして破門を宣告します。
これが契機となって、叙任権闘争がおこります。
展開
皇帝ハインリヒ4世にとって破門は、統治下のドイツ諸侯たちが、反旗をひるがす口実をあたえることにつながりました。
彼にとっては心理的な影響よりも、こちらのほうが、よっぽど問題でした。
帝国内の混乱をおさえるために、ハインリヒ4世は、真冬のアルプス山脈をこえ、北イタリアにいる教皇のもとにむかいます。
しかし、カノッサ城に滞在してきた教皇グレゴリウス7世は、皇帝との面会を拒否し、入城を許しませんでした。
それでもなんとか破門をといてもらいたいハインリヒ4世は、何度も足をはこび、謝罪をくりかえします。
このできごとを、城の名まえから「カノッサの屈辱」とよび、皇帝権にたいして教皇権が互角となるきっかけとなりました。
影響
その後も両者の対立はつづき、最終的には、ヴォルムス協約でもって、皇帝と教皇の妥協が成立します。
協定の内容は、
・皇帝は世俗権利の授与権をもつ
・叙任のさいには、イタリアでは教皇が先、ドイツでは皇帝が先、
といったものでした。
協定のなかみは、あいまいで漠然としています。けれどこれ以降、教皇の権力は、皇帝の権力と同等となり、時が経つごとに、教皇権の力が優勢となっていきます。
教皇権の歴史④ ─ 教皇権の優位

グレゴリウス7世以降、教皇権の力は、よりいっそう強化されます。
あとを引き継いだウルバヌス2世は、クレルモン宗教会議で、かの十字軍派遣を提唱し、ヨーロッパの国々を引っぱっていきます。
さらに、イノケンティウス3世のときには、教皇権が皇帝権を完全に上まわります。
彼は、
・フランス王フィリップ2世
・イギリス王ジョン
を、つぎつぎに破門していきます。
そのうえで、
と発言し、ヨーロッパの全権力にたいして教皇の力は優っている、と主張しました。
いっぱんに、このイノケンティウス3世の治世が、教皇権の絶頂期とされます。
さらに彼は、教会への民衆支持が回復することをねらい、托鉢修道会を許可します。
托鉢修道会にはおもに、
・ドミニコ修道会
の2つがあります。
両修道会では、清貧をモットーとするため、教会や聖職者の財産所有が否定されます。
また、都市の人びとにむけて、積極的に布教をおこないます。
いっぽうでキリスト教以外の宗教はもちろん、異端とみなした宗教団結を徹底的に弾圧したうえで迫害をくわえます。
このようにして、教皇権の力は、あらゆる世俗の権力を凌駕していきました。
おわりに
中世ヨーロッパにおける教皇権の歴史についてみてきました。
まとめると、こんなかんじです。
・シトー修道会
・叙任権闘争
・カノッサの屈辱
・フランチェスコ修道院
・ドミニコ修道会
・ハインリヒ4世
・ウルバヌス2世
・イノケンティウス3世
この記事が、教皇権の歴史を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。
では、また。




