どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
・大事なキーワードは?
・この時代のポイントは?
きょうは、この問いに答えていきます。
答えは、つぎのとおり。
・マグナ=カルタ(大憲章)
・シモン=ド=モンフォールの乱
・模範議会
・ジェントリ
・ヘンリ3世
・エドワード1世
この記事では、つぎの本を参考にしました。
目次
イギリス議会の歴史① ─ プランタジネット朝の成立

それまでイギリスは、ノルマン朝がおさめていました。
しかし王家が断絶し、代わりにフランスのアンジュー伯アンリが即位します。
英国名でヘンリ2世とよばれ、以後イギリスではプランタジネット朝がつづいていきます。
彼はノルマン朝以来の強力な王権にくわえて、フランスの西部地域も領有することはなります。
イギリス議会の歴史② ─ ジョン王とマグナ=カルタ

つづいて即位したのが、ヘンリ2世の末っ子ジョンでした。
彼はジョン王として即位するいっぽう、のちの人たちから「失地王」とあだ名されました。
というのも、仏王フィリップ2世との争いに敗れ、ヘンリ2世から引き継いだ大陸側の領土を失ったからです。
さらに、カンタベリ大司教の叙任問題をめぐり、ときのローマ教皇イノケンティウス3世と争い、ローマ教会から破門をくらっています。
なにかと問題のあるジョン王ですが、彼は世界史を語るうえで、たいへん重要な人物です。というのも、一般民衆からマグナ=カルタ(大憲章)をつきつけられ、その要求を受けいれたからです。
マグナ=カルタは、戦費をまかなうために、ジョン王が諸侯や貴族に税金を課したのが、きっかけでした。
それ以前もたびたび課税をうけていたため、たびかさなる重税にしびれをきらした貴族たちが反発し、国王にたいして大憲章のかたちで、要求したのでした。
その内容は、
というもの。
記述はかんたんながらも、法による王権規制のさきがけで、イギリスにおける立憲政治の出発点となりました。
イギリス議会の歴史③ ─ シモン=ド=モンフォールの乱

国王が大憲章を承認したといっても、その効力は限られたものでした。
じっさい、つぎに国王に就いたヘンリ3世は、大憲章を無視して、ふたたび貴族たちの反発をまねきます。
このときの反乱を「シモン=ド=モンフォールの乱」とよびます。
争いは5年以上つづき、最終的には国王を捕らえて議会を招集します。
これは、それまであった大貴族&高位高官聖職者会議に、州&都市の代表を参加させるものでした。
このときの集まりがイギリス議会の起源とされます。
イギリス議会の歴史④ ─ 模範議会

つづいて即位したエドワード1世は、過去のあやまちを犯さないよう、できるだけ議会を尊重する態度をとります。
約束どおり、定期的に議会を招集し、貴族たちの意見をしっかり耳に入れ、かれらの言い分を政治に反映させます。
そのためにエドワード1世が招集した議会は「模範議会」とよばれています。
ただし〝お手本のような議会〟といっても、そのなかみは、身分制にもとづく議会でした。
参加をゆるされたのは、
・高位聖職者
・各州の騎士(2名)
・各都市の市民(2名)
だけでした。
普通選挙があたりまえの私たちからすれば、かなり不公平な議会といえます。
イギリス議会の歴史⑤ ─ 二院制議会の成立

とはいえ、時代がくだるごとに、議会の権限は、より強固なものになっていきます。
エドワード3世のときには、二院制議会が成立しています。
これは議会を、
・庶民院(下院)
の2つに分けて、人びとの意見をとりいれるのがねらいでした。
名まえのとおり、貴族院は貴族&高位聖職者から、庶民院は州と都市の代表から構成されます。
とくに庶民院が重要で、以後イギリスでは、下院に参加する人たちが増え、かれらの権限がじょじょにつよくなっていきます。
なお、二院制議会が成立した時期には、騎士階層は軍人としての役割を終えて、「ジェントリ」とよばれる地主階級に変わっています。
14世紀半ば以降は、かれらジェントリ層が州の代表者となり、庶民院を支えていくことになります。
おわりに
イギリス議会の歴史をみてきました。
まとめると、こんなかんじです。
・マグナ=カルタ(大憲章)
・シモン=ド=モンフォールの乱
・模範議会
・ジェントリ
・ヘンリ3世
・エドワード1世
この記事が、イギリス議会の歴史を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。
では、また。




