アメリカ独立革命 ─ 背景・意義・影響・フランス革命・人物【簡単にわかりやすく解説】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・アメリカ独立革命について知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・植民地会議
・印紙法
・茶法
・ボストン茶会事件
・第1回大陸会議
・『コモン=センス』(トマス=ペイン)
・独立宣言
・パリ条約
・合衆国憲法
・人民主権・連邦主義・三権分立
重要人物
・ジェファソン
・ワシントン
・フランクリン
・ラ=ファイエット
・コシューシコ
ポイント
・独立宣言では、自由・平等・革命権などをうったえ、近代民主政治の原則を主張した
・合衆国憲法では、人民主権・連邦主義・三権分立が明記された

この記事では、つぎの本を参考にしました。

アメリカ独立革命① ─ 13植民地の形成

ボストン茶会事件

英国から独立することになる13州植民地は、北アメリカ東部にイギリス人が入植したことでつくられました。

・ヴァージニア植民地
・ニューイングランド植民地

など、合わせて13の植民地地区が、つぎつぎたてられていきます。

とはいえ、すべての植民地が同じわけではなく、それぞれの州にはさまざま違いがありました。

大まかに分けると、

アメリカ北部:
・住民の中心は自営業者
・商工業&海運業が発展

アメリカ南部:
・住民は少数の農業経営者と大多数の奴隷農民で構成
・タバコ&米&藍などの大規模農業が発展

といったかんじです。

いっぽう全地域をわたってみたときには、開拓意欲の高い移民だけあって、自主かつ自由の雰囲気がただよっていました。

イギリスもまた植民初期のころには、かれらの意志を尊重し、寛容な態度をとっていました。

ボストン茶会事件

しかし13植民地が成長するにつれて、イギリス本国の拘束がだんたん厳しくなっていきます。

なかでも七年戦争前後は、戦費の増大からイギリス財政もきびしくなり、その対策として、植民地への課税が強化されます。

まずは印紙法が制定され、すべての印刷物に印紙(≒ 税金の支払いを目的とした証書)をはりつけることを義務づけ、植民地から税収を確保しようとします。

もちろんこれには13植民地側も反対します。植民地会議を開き「代表なくして課税なし」と訴えたうえで法律の撤回を要求します。

さらに茶法が制定され、イギリス本国が運営する東インド会社に植民地での貿易独占権があたえられます。

これにより、他国との交易チャンスをうばわれた植民地の貿易会社は倒産の危機にみまわれます。

そこでイギリスの強権に怒りをあらわにした労働者たちは、一般市民にふんして、ボストン港に停泊していた東インド会社の商船にしのびこみ、積まれていた茶の箱を海に投げすてます。

これが有名なボストン茶会事件で、これによりアメリカ植民地とイギリス本国の対立は決定的となりました。

アメリカ独立革命② ─ 独立戦争の勃発

大陸会議における独立宣言の署名

ボストン茶会事件の翌年、イギリス本国との向きあい方についてフィラデルフィアで第一回大陸会議が開かれます。

13州それぞれの代表者が集まり、英国の経済措置にたいして、どのような態度をとり、どんな対策をこうじればいいのか、話し合いがなされました。

議論はなかなかまとまらず、イギリス支持の国王派/植民地擁護の愛国派が、論争をくりひろげました。

そのさい、愛国派でヴァージニア州代表のパトリック=ヘンリがのべた、

「われに自由を与えよ、でなければ、死を与えよ(give me liberty or give me death)」

との演説は、たいへん有名です。

レキシントンでの武力衝突

そんななか、会議のとちゅうで、アメリカ北東部のレキシントンで、植民地住民とイギリス軍人とのあいだで武力衝突がおきた、というニュースが舞いこみます。

大陸会議では、イギリスにたいして軍事行動に出る/出ないの結論は、まだ決まっていませんでした。

しかし、レキシントンでの偶発的な事故により、13植民地はイギリスと戦争を、いわばなし崩し的に、おこなうことになります。

トマス=ペイン『コモンセンス』の出版

独立戦争に突入したものの、植民地住民のあいだでは、いまだイギリスと和解を望む人たちが多くいました。

そんな反対派が多数いるなかで出版されたのが、『コモン=センス』(トマス=ペイン)でした。

本書ではイギリスの理不尽な行為と、アメリカ独立の正当性が、わかりやすく書かれていました。

『コモン=センス』を読んだことで、それまで戦争に反対だった人たちも賛成に転じ、独立機運が一気に高まります。

つづけて、人びとのあと押しをうけて、大陸会議のメンバーであるジェファソンたちが独立宣言を起草し、第二回大陸会議で正式に採択されます。

宣言以降は、植民地各地で独立にむけた争いがくりかえされます。なかでも独立達成を左右したのがサラトガの戦いでした。

植民地総司令官のワシントンの活躍もあって、みごと勝利をはたしたアメリカは、この戦いを足がかりに、イギリスからの独立をさらにすすめていくことになります。

また、イギリスと対立するフランスがアメリカを支援し、軍事資源の面でも優勢となります。さらにヨーロッパ諸国のあいだでも、ロシアの女帝エカチェリーナの提唱のもと、武装中立同盟が結成されます。

同盟では中立国船舶との航行自由が要求され、(たとえイギリスが反対しようとも)それぞれの国はみずからの意志にもとづいて、アメリカとの貿易はおこなわれるべき、と宣言されます。

エカチェリーナはこの同盟により、イギリスのヨーロッパからの孤立をねらっていましたが、アメリカにとっては資源(兵たん)を確保できる絶好の機会でした。

結果、ヨーロッパ情勢もあいまって、ヨークタウンの戦いでの勝利後、イギリスからの独立が決定的となります。

パリ条約では正式にアメリカ独立が承認され、さらにミシシッピ川以東にあるルイジアナも獲得することになります。

アメリカ独立革命③ ─ 合衆国憲法の制定

アメリカ合衆国憲法の原本

独立戦争での勝利は、アメリカ社会にさまざまな影響をあたえました。

なにより大きいのはアメリカ合衆国憲法の制定です。

憲法制定により、

・人民主権
・連邦主義
・三権分立

の近代民主政治のルールが定められます。

さらにその2年後にはアメリカ連邦政府が成立し、独立戦争で活躍したワシントンが初代大統領に就任します。

いっぽう、連邦政府内ですでに派閥争いがおきていました。[連邦派 vs 反連邦派]の対立です。

各派閥の特徴は、つぎのとおりです。

連邦派:
・代表者は財務長官のハミルトン
・合衆国憲法を支持
・中央集権型の連邦主義を擁護

反連邦派:
・代表者は国務長官のジェファソン
・合衆国憲法には反対
・地方分権型の州権主義を擁護

といったものでした。

以後のアメリカ政治では、ふたつの派閥が対立軸となって、外交政策や経済政策をめぐって論争をくりひろげていきます。

意義と問題点

長い目でみれば、アメリカ独立革命はつぎのような意義と問題点がありました。

意義:
・ヨーロッパ諸国での市民革命を誘発
・植民地エリアでの独立運動のきっかけとなる

問題点:
・女性や黒人など権限は無視される
・先住民(インディアン)の権利はおきざりにされる

意義としては、市民革命を誘発したことがあげられ、アメリカの独立によって、ヨーロッパではフランス革命がおこり、またラテンアメリカの植民地では、ヨーロッパ列強からの独立革命が勃発するようになります。

いっぽうアメリカの独立は問題点を残し、いっけん市民を第一に考えた憲法や連邦政府であっても、女性や黒人の権利は無視され、インディアンなどのマイノリティの権限は置き去りにされました。

そのため、独立以降のアメリカでは、

・女性
・黒人
・マイノリティ・グループ

への対処が、今後の政治課題となっていきます。

おわりに

アメリカ独立革命をみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・植民地会議
・印紙法
・茶法
・ボストン茶会事件
・第1回大陸会議
・『コモン=センス』(トマス=ペイン)
・独立宣言
・パリ条約
・合衆国憲法
・人民主権・連邦主義・三権分立
重要人物
・ジェファソン
・ワシントン
・フランクリン
・ラ=ファイエット
・コシューシコ
ポイント
・独立宣言では、自由・平等・革命権などをうったえ、近代民主政治の原則を主張した
・合衆国憲法では、人民主権・連邦主義・三権分立が明記された

この記事が、アメリカ独立革命をするさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。