イスラームの改革運動 ─ カルロヴィッツ条約・ワッハーブ派・ワッハーブ王国・サウード家【世界史】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・イスラーム改革運動について知りたい
・大事なキーワードは?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・カルロヴィッツ条約
・ワッハーブ派
・ワッハーブ王国
ポイント
・ワッハーブ派がイスラームの原点回帰を主張したことで、アラブの民族意識が高揚し、ナショナリズム運動へとつながっていった

この記事では、つぎの本を参考にしました。

イスラーム改革運動① ─ オスマン帝国の動揺

カルロヴィッツ条約の公式文書

近代以降、それまで中東地域をおさめていた国々に衝撃が走ります。

きっかけはオスマン帝国の動揺でした。

カルロヴィッツ条約で、領有していたハンガリーをオーストラリアに譲り渡すことになります。

またその約70年後にはキュチュク=カイナルジャ条約で、黒海沿岸をロシアに割譲することになります。

イェニチェリ軍団を編成したオスマンは強い軍事力をもつとされ、ヨーロッパ各国からたいへん恐れられていました。しかしオスマンの内部秩序が揺らぎ、軍の統制がきかなくなることで、軍事力をいちじるしく低下させます。

帝国衰退を見抜いたオーストリアやロシアは、ここぞとばかり軍隊をおくり、オスマンの領土を侵食していきます。

イスラームの盟主ともいえるオスマン帝国が動揺することで、中東地域の秩序が揺らいでいきます。

イスラーム改革運動② ─ ワッハーブ派の台頭

「イブン=アブドゥル=ワッハーブ」の名が刻まされたカリグラフィー

ヨーロッパの圧力から中東世界が揺らぐなかで、イブン=アブドゥル=ワッハーブがイスラームへの原点回帰を主張します。

くわえて彼はトルコ人やイラン人が広めた神秘主義や聖者崇拝を否定しました。

ワッハーブの運動は、アラブ民族の覚醒をうながしました。

その結果、ネシド地方の豪族サウード家と結びつき、ワッハーブの一派はワッハーブ王国をきずきます。

またシリアでは、アラブ人のキリスト教知識人のあいだに、アラブ文化の復興運動がおこります。

さらに産業革命の影響で、19世紀後半には世界が蒸気船で結ばれ、メッカへの巡礼が活性化しました。

訪れた人たちが、各国に戻ることで、イスラーム改革運動は世界中に広まっていきました。

おわりに

19世紀のヨーロッパ文化をみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・古典主義
・ロマン主義
・写実主義
・自然主義
・功利主義
・実証主義
・実存主義
・古典派経済学
・歴史学派経済学
・マルクス主義経済学
・進化論(ダーウィン)
ポイント
・19世紀のヨーロッパ文化は[古典主義 → ロマン主義 → 写実主義 → 自然主義]の流れで展開していった
・19世紀後半には自然科学が発展し、国家が支援する大学や専門施設で研究がすすんでいった

この記事が、19世紀のヨーロッパ文化を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。