どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?
きょうは、この問いに答えていきます。
答えは、つぎのとおり。
・関税同盟
・鉄血政策
・普墺戦争
・普仏戦争
・アルザス・ロレーヌ地方
・ヴィルヘルム2世
この記事では、つぎの本を参考にしました。
目次
ドイツ統一① ─ ビスマルク

たびかさなるフランスでの市民革命の影響をうけて、ドイツでも市民を中心とした統一の動きがあらわれます。
イタリアの統一と同じく、ドイツでも「下から」と「上から」の統一運動が展開されました。
下からの運動は三月革命をきっかけに始まりました。しかしこちらは失敗におわり、以後、ドイツ統一の主導権は、自由主義者の市民から保守的なユンカー層へと移っていきます。
いっぽう上から統一では、プロセインを中心に関税同盟が発足されます。
関税同盟は分立する領邦の経済統一をねらったもので、まずは地域間に存在する関税が撤廃されました。
プロセインのヴィルヘルム1世は、ユンカー出身のビスマルクを首相に任命し、プロセインをはじめドイツの軍備拡張を実行させます。
ビスマルクの政策は「鉄血政策」とよばれ、彼の登場以降、ドイツでは急速に富国強兵がすすんでいきます。
ドイツ統一② ─ 普墺戦争と普仏戦争

プロセインを中心に統一の基盤が形成されるなか、並行してドイツはヨーロッパ全体での影響力を高めていきます。
その展開をまとめると、つぎのようになります。
↓
普墺戦争
↓
普仏戦争
以下、それぞれのできごとをかんたんにみていきましょう。
デンマーク戦争
バルト海に面したデンマークで戦争がおこると、プロセインはライバル関係にあるオーストリアといったん手をむすび、共同で軍を派遣します。
戦争は優位にはこび、その結果、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン両公国をオーストリアと共同で管理することになります。
普墺戦争(プロイセン=オーストリア戦争)
しかしその2年後に、協力していたオーストリアとのあいだで戦争が勃発します。
普墺戦争(プロイセン=オーストリア戦争)です。
きっかけは、さきに共同管理をとりきめたシュレスヴィヒ・ホルシュタイン両公国の帰属問題でした。
この領土をめぐり争いがおこり、その結果「七週間戦争」で圧勝したプロセインが勝利をおさめます。
これにより、それまでのドイツ連邦を解体し、新たにプロセインを盟主とする北ドイツ連邦が結成されます。
そのさい、オーストリアはドイツ統一から外され、帝国分裂の危機におちいります。国家崩壊に対処するため、オーストリアは支配下のマジャール人に、ハンガリー地域に限定したうえで自治権をあたえます。
ここにオーストリア=ハンガリー二重帝国が成立します。
マジャール人への譲歩により政治基盤をかためたものの、以後ハンガリー半島内では、スラブ系民族の反発などの民族問題が多発し、帝国はその鎮圧に追われることになります。
普仏戦争(プロセイン=フランス戦争)
普墺戦争の約5年後、つづいてフランスとのあいだで戦争がおこります。
普仏戦争(プロセイン=フランス戦争)です。
きっかけは王位継承をめぐる問題でした。これを口実に、ときのフランス皇帝ナポレオン3世がプロセインのビスマルクを相手に戦争をしかけます。
その結果は、フランスが惨敗をきっし、ビスマルクの作戦勝ちにおわります。ナポレオン3世は捕虜としてつかまり、フランスはたいへんは屈辱を味わうことになります。
つづけてビスマルクの発案で(フランスの!)ヴェルサイユ宮殿におもむき、その場所でプロセインの君主ヴィルヘルム1世が皇帝として即位します。
ここにドイツ帝国が誕生します。
くわえてドイツは講和条約をむすんだうえで、フランスにたいして多額の賠償金支払いを命じます。そのさい産業の中心地だったアルザス・ロレーヌ地方の割譲も確約させます。
以後ドイツは、工業国としての地位を高めていきます。
おわりに
ドイツ統一をみてきました。
まとめると、こんなかんじです。
・関税同盟
・鉄血政策
・普墺戦争
・普仏戦争
・アルザス・ロレーヌ地方
・ヴィルヘルム2世
この記事が、ドイツ統一を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。
では、また。




