春秋戦国時代とは? ─ 武将・名将・覇者・呉・普・秦・貨幣

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・春秋戦国時代について知りたい
・大事なキーワードは?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・洛邑
・春秋の五覇(覇者)
・戦国の七雄
・鉄製農具
・牛耕農法
・青銅貨幣
ポイント
・春秋戦国時代では、鉄製農具&牛耕農法により農業生産が向上し、各地の有力者が台頭した

この記事では、つぎの本を参考にしました。

春秋時代の成立

桓公と管仲

それまで中国一帯は、周王朝がおさめていました。

しかし、周辺からさまざま敵(犬戎)が侵入し、周の権勢が衰えていきます。それにともない都も、鎬京(現 西安)から、洛邑(現 洛陽)に移すことになります。

結果、周以外の諸侯たちが勢力をのばし、覇者として権力獲得をねらうようになります。

かれらは「尊王攘夷」をとなえ、いまだ権威のある周を敬いながらも、おたがいに争いをくりひろげます。

なお学術上、ときの有力諸侯を「春秋の五覇」とよびます。けれどその5人は決まっていません。

通説だと、

・桓公(斉国)
・文公(晋国)

などが、五覇のうちのふたりとされています。

また「春秋時代」というときには、周王朝の権威は、かろうじて残っていました。有力諸侯といえども、いちおう周王朝の復興のために、おたがいに争っていました。

しかし、つぎの「戦国時代」にはいると、周王朝の権威はなくなり、完全に実力勝負の時代へと突入していきます。

春秋時代/戦国時代の区別はむずかしいですが、いっぱんに、

周王朝の権威がある/ない

が、ひとつの基準となっています。

年代(西暦)でいえば、つぎのようになります。

春秋時代 → B.C.770年〜403年
戦国時代 → B.C.403年〜221年

戦国時代の成立

燕兵士の兜

親族争いにより、有力諸侯のひとつだった晋が、

・韓
・魏
・趙

に分裂します。

これをきっかけに、中国は春秋時代から戦国時代へと移っていきます。

それまで諸侯は形式上、周王朝を敬ってきましたが、戦国時代では、みずから勝手に「王」を自称するようになります。

みずからの領土で富国強兵策を実施し、国力を高めたうえで他国と戦争をくりかえします。

まさに、実力主義と下剋上の時代です。

もともと戦国時代の初期には、約200ほどの国があったとされます。しかし争いをくりかえすうちに、最終的には7国にまで淘汰されます。

かれらは「戦国の七雄」とよばれ、さらに激しい権力争いをおこないます。

7国をあげると、つぎのようになります。

・燕
・斉
・韓
・魏
・趙
・楚
・秦

春秋戦国時代の特色

青銅貨幣 刀銭

中国史全体からみた場合、春秋戦国時代は、大きな変革の時期でした。

以下、

  • 農業
  • 商業
  • 文化

の面からみていくことにしましょう。

農業

春秋末期より鉄製農具が人びとのあいだで広まり、さらに牛耕農法がおこなわれます。

その結果、農業生産は向上し、小さな家族でも自給自足の暮らしができるようになります。当然ながら、氏族による拘束はゆるみ、それぞれの一族が自由な暮らしをおくることになります。

商業

商工業の発展により、人びとのあいだで青銅貨幣が普及していきます。

有名なものだと、

・刀銭(燕&斉)
・布銭(韓&魏&趙)
・蟻鼻銭(楚)
・円銭(秦)

などがあります。

貨幣経済の広まりより、それまでの世襲的な身分制は崩れていきます。つまり経済面でも、実力本位の世の中へと変わっていきます。

文化

さきにみた戦国の七雄が、それぞれの地域で領地開発をおこなうことで、結果的に、中国文化圏が、まわりのエリアへと広がっていきます。

たとえば、儒教の考えであったり、文字や土器などの文化が、それまでふれていなかった場所にまで広まっていきます。

長い目でみたとき、春秋戦国時代は、中国文化圏が、あたり一帯に拡大していた時期と、みなすことができます。

おわりに

春秋戦国時代についてみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・洛邑
・春秋の五覇(覇者)
・戦国の七雄
・鉄製農具
・牛耕農法
・青銅貨幣
ポイント
・春秋戦国時代では、鉄製農具&牛耕農法により農業生産が向上し、各地の有力者が台頭した

この記事が、春秋戦国時代を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。