封建社会と荘園制度 ─ 農民・成立&崩壊・ヨーロッパ&日本の比較【わかりやすく解説】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・封建社会と荘園制度について知りたい
・大事なキーワードは?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・恩貸地制度
・双務的契約関係
・不輸不入権
・騎士道精神
・賦役
・貢納
・十分の一税
・三圃制
ポイント
・中世ヨーロッパの封建社会は、封建的主従関係&荘園制のふたつから構成させる
・古代ローマ時代の恩貸地制度と、ゲルマン由来の従士制がむすびつき、封建的な主従関係が成立した

この記事では、つぎの本を参考にしました。

以下、目次に沿って、みていきます。

封建社会の背景と定義

封建社会のようす(出典:wiki

封建社会が成立した背景には、ノルマン人・マジャール人・イスラーム勢力の進出がありました。

かれらの侵略から団結して財産をまもるために、王・諸侯・騎士のあいだで主従関係がきずかれました。

いっぽうで、当時のヨーロッパ地域では商業と都市が衰退し、それにともない、自給自足経済(現物経済)をしなくてはならないことも、封建社会成立の要因としてあげられます。

封建社会の定義

もともと封建社会とは、フランク王国で発展し、封建的な主従関係と荘園制度がベースとなっています。

ここでいう封建的な主従関係とは、

封土を媒介とした、国王・諸侯・騎士のあいだできずかれる主人と従者の関係

をさします。

ふるくは、古代ローマ時代の恩貸地制度や、古ゲルマン部族の従士制度が、もとになってきます。ふたつの制度が世襲化されたことで、封建制度が成立しました。

主人と従者の関係とはいえ、双務的な契約関係であり、主君が契約違反をおかした場合、家臣は服従を拒否することができます。

「契約」という考えが重要で、従者 or 家臣であっても、不満があれば、いまの主人に見切りをつけて、ほかの主君に従うことができました。なかには複数の主君に従う家臣もいました。

いっぽう荘園制度とは、土地の領主が荘園と農奴を支配するしくみをさします。

領主はおもに、国王・諸侯・教会が担いました。

封建社会の特徴

フランス王による騎士叙任(出典:wiki

封建社会の特徴を、

  • 政治
  • 経済
  • 階層
  • 宗教

の側面から、もうすこしくわしくみていきます。

政治

封建社会のもとでは、諸侯や騎士は不輸不入権をもっていました。そのために、地方分権化がすすみ、中央の王権は弱体化しました。

また、騎士ひとりひとりには騎士道精神がめばえ、忠誠・武勇・弱者への配慮などの道徳観が広まりました。

経済

封建社会のもとでは、荘園を単位とする自給自足経済がふつうでした。そのために、交易はあまりおこなわれず、貨幣経済も広まりませんでした。

階層

封建社会のもとでは、人びとのあいだの地位や身分は、はっきりと分かれていました。

いっぱんに、

・祈る人(聖職者)
・戦う者(戦士)
・働く人(農民)

の階層があり、民衆のひとりひとりは、いずれかの職種に属していました。

宗教

封建社会が成立したヨーロッパでは、ローマ=カトリックの影響がたいへんつよく、なにをなすにも教会が関わってきました。

荘園制度の特徴

荘園制における農業

荘園とは、領主が経営する私有地のことです。

荘園の中心には、領主が住む館があり、そのとなりには教会がありました。ふたつの建物をかこむように、あたりには農地が広がっていました。

荘園の構造(出典:『詳説 世界史図録』(山川出版社))

また、耕地には種類があり、つぎの3つに分かれていました。

・領主直営地
・農民保有地
・共同地

農奴のくらし

耕地で働いていた農奴のようすをみていきましょう。

中世ヨーロッパの農奴は、ローマ帝国時代のコロヌス(小作人)や、没落したゲルマン自由農民の子孫たちです。

かれらには、つぎのような税が課せられていました。

・地代
・結婚税
・死亡税
・十分の一税

地代には、

・労働地代:領主直営地を耕作する賦役
・生産物地代:農民保有地から生産物を領主に納める貢納

の2種類がありました。

くわえて、農奴が結婚や死亡する場合にも、領主に税を支払う必要がありました。

さらに、収穫物の 1/10 を教会に納めることも義務付けられていました。この税を「十分の一税」とよびます。

税もさることながら、身分上の拘束もかなりのものでした。

住居・農具の所有は認められたものの、移動の自由は、きほんありませんでした。

また、法律上の権利はほぼなく、領主の裁判権に服するのが、ふつうでした。

農業技術の発達

こんなひどい境遇のなかでも、農業技術はだんだんと革新されていきました。

まとめると、つぎのとおりです。

・水車の普及
・鉄製重量有輪棃の使用
・三圃制農法の広まり

なかでも三圃制農法は革新的でした。

これは耕地を3つに分けて、1年ごとに、

・秋耕地(小麦&ライ麦の収穫)

・春耕地(大麦の収穫)

・休耕地(家畜の放牧)

の流れで、土地を使い分ける手法です。

あいだに休耕地をはさむことで、地力を回復し、高い生産性を確保しました。

このように農奴の権限はほぼ無いようなものでしたが、暮らしぶりはわりと豊かで、平和な日々を過ごしていたとされています。

おわりに

中世ヨーロッパの封建社会と荘園制度についてみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・恩貸地制度
・双務的契約関係
・不輸不入権
・騎士道精神
・賦役
・貢納
・十分の一税
・三圃制
ポイント
・中世ヨーロッパの封建社会は、封建的主従関係&荘園制のふたつから構成させる
・古代ローマ時代の恩貸地制度と、ゲルマン由来の従士制がむすびつき、封建的な主従関係が成立した

この記事が、中世ヨーロッパの封建社会と荘園制度を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。