衛氏朝鮮と三国時代 ─ 楽浪郡・都・滅亡【世界史】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・衛氏朝鮮と三国時代について知りたい
・大事なキーワードは?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・衛氏朝鮮
・楽浪郡
・高句麗
・百済
・新羅
・伽耶諸国
ポイント
・唐と同盟をむすんだ新羅は、百済と高句麗を滅ぼしたあと、協力関係にあった唐の勢力も追いだし、朝鮮半島を統一した

この記事では、つぎの本を参考にしました。

古代朝鮮の歴史① ─ 衛氏朝鮮

漢の武帝

朝鮮の歴史は、その場所がら、中国の歴史ときってもきれない関係です。

朝鮮最初の王朝は、中国の燕から逃れた衛満によって建国されました。

これが衛氏朝鮮です。

かれらは朝鮮半島北部を支配し、中国にたびたび影響をあたえました。

しかし100年も経たないうちに、前漢の武帝によって滅ぼされてしまいます(B.C.108年)。

その後は、中国による支配がつづきます。

郡県制をしいた漢王朝は、朝鮮にも、

・楽浪郡
・玄兎郡
・臨屯郡
・真番郡

をおき、じかに統治します。

これら4つは「朝鮮4郡」とよばれます。

古代朝鮮の歴史② ─ 三国時代

新羅の王墓郡

漢王朝が衰退するにともない、朝鮮では独立の動きがみられます。

まず北部では、中国北東部でおこった高句麗が、楽浪郡を滅ぼし、半島の北側を支配します。

つぎに南部では、韓族のグループがそれぞれ、

・馬韓(西南)
・弁韓(南)
・辰韓(東南)

を各地にたてていきます。

これにより、中国王朝の帯方郡は滅亡することになります。

さらに馬韓からは百済が、辰韓から新羅が発展し、独立を果たします。

以後、朝鮮では、

・高句麗
・百済
・新羅

の三つどもえの争いをくりかえすことになります。

以下、それぞれの国の特徴をみていきましょう。

高句麗

漢王朝の衰退に合わせて独立した高句麗は、広開土王のときに領土を一気に広げます。

都を丸都城におき、これがのちの平壌につながります。

全国各地に、広開土王碑をたて、みずからの威信を示しました。

隋の煬帝や、唐の太宗からの何度も侵攻をうけるものの、撃退し退けます。

百済

さきにみたとおり、百済は韓民族の国で馬韓から独立&発展しました。

日本とのつながりがつよく、仏教などは百済から伝わっています。

新羅

新羅も韓民族の王朝で、辰韓より独立&発展しました。都は金城(慶州)におきます。

強権の新羅は、弁韓から発展した加耶諸国を滅ぼし、領域を広げていきます。

また、ときの唐王朝と同盟をむすび、百済と高句麗を滅ぼします。

さらに、半島から唐の勢力を追いはらい、朝鮮史上初めて、半島の統一に成功します。

なお、日本も百済復興軍を組織して朝鮮半島に出兵したものの、白村江の戦いで、新羅&唐の連合軍に大敗をきっします。以降、日本は朝鮮半島から完全に撤退することになります。

おわりに

衛氏朝鮮と三国時代をみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・衛氏朝鮮
・楽浪郡
・高句麗
・百済
・新羅
・伽耶諸国
ポイント
・唐と同盟をむすんだ新羅は、百済と高句麗を滅ぼしたあと、協力関係にあった唐の勢力も追いだし、朝鮮半島を統一した

この記事が、衛氏朝鮮と三国時代を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。