どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?
きょうは、この問いに答えていきます。
答えは、つぎのとおり。
・里甲制
・賦役黄冊
・魚鱗図冊
・靖難の役
・北虜南倭
・永楽帝
・鄭和
・張居正
・一条鞭法
・李自成
・明の朝貢貿易による海運規制にたいして、北虜南倭というかたちで人びとの不満が高まった
この記事では、つぎの本を参考にしました。
目次
明王朝の形成

それまで中国一帯は元王朝がおさめていましたが、権威が衰退したことで、各地で反乱がおこります。
とくに紅巾の乱は規模が大きく、そのなかから武将の朱元璋が台頭し、勢力をのばしていきます。
貧農出身であったにもかかわらず、彼はみずからの王朝である「明」を建国し、洪武帝として即位します。
元王朝を中国地域から追放したのち、さっそく内政の整備にとりかかります。
統治の特徴は、つぎの2点です。
- 君主独裁体制
- 軍戸/民戸による民衆の分類
それぞれかんたんにみていきます。
君主独裁体制
明王朝では、皇帝に権限が集まるよう工夫しました。
皇帝が、
・監察
・軍事
を掌握したうえで、官僚トップである中書省&長官の丞相を廃止して、新たに皇帝直属の「六部」を設置します。
皇帝に権力を集中させたのち、
・朱子学の官学化
・科挙の整備
をおこないました。
個別のしくみは歴代王朝をひきついでいるものの、皇帝に権利も権限も集まっているのが、明王朝の特徴です。
軍戸/民戸を基準にした民衆の分類
民衆の統治については、人びとを
・民戸(税役の担い手)
に分けたうえで、戸籍に登録させました。
軍戸は、六部のひとつである兵部の管轄下におかれます。
そのうえで「衛所制」とよばれる軍事制度にくみこまれ、ふだんは屯田にあたり、兵役を担いました。
民戸は「里甲制」とよばれる組織にくみこまれ、輪番で賦役徴収&治安維持業務にあたりました。
そのさい王朝側は、
・魚鱗図冊(土地台帳)
を作成し、兵役&納税の〝漏れ〟がないか、厳しくチェックしました。
くわえて民衆にむけて、六輸とよばれる教訓を発布し、里老人とよばれる〝宣伝マン〟が、民衆教化のために声をあけながら、村々をわたり歩きました。
外交政策
外交については、洪武帝は自分のむすこを王に封じたうえで、北方辺境に派遣し、モンゴル族の侵入にそなえました。
また、海禁策をとって海外渡航を禁止し、いっぽうで朝貢貿易によって東アジアの秩序形成をなんとか保とうとしました。
永楽帝による施策
洪武帝のあと、孫の建文帝が即位します。しかし彼は地方諸国の権限を削減しようとしため、各地の王から反発をまねき、明国内は一時、内乱状態におちいります。
そのなかから洪武帝の甥にあたる、燕王の朱棣が台頭し、建文帝にむけて反旗をひるがえします。
両者の争いを靖難の役とよび、結果、朱棣が勝利をおさめ永楽帝として即位します。
彼は洪武帝の政策をひきつぎつつ、内政では内閣大学士を設置して、皇帝補佐の体制を強化します。
また都を南京から北京に移し、大規模な建設事業をおこないます。
いっぽう外交政策では、洪武帝とはうってかわって、海外遠征を積極的におこないます。
モンゴルには計5回にわたり遠征軍をおくりますが、大した成果はあげられず、どれも失敗におわります(ただし、ベトナム遠征はうまくいき、併合に成功しています。)。
海上については、アラブ人である鄭和をつかって、計7回にわたり南海遠征にあたらせています。
こちらは比較的うまくいき、東アフリカの国々まで、明王朝へ朝貢させることに成功しています。
明王朝の変容

鄭和の南海遠征以降、東アジア諸国に明にたいして、ぞくぞくと朝貢をおこないました。
おもな国は、つぎのとおりです。
・マラッカ
・ベトナム
・朝鮮_
・日本
しかし、国際商業が発展するなかで、朝貢貿易をもちいた明による貿易統制は、じょじょに崩れていきます。
このような外圧による危機を「北虜南倭」とよびます。
北虜とは、
をさします。
さらにタタール族のアルタン=ハンが、北京を包囲したできごとも、北虜のひとつです。
いっぽう南倭とは、
をさします。
さらに明の海禁策に反発した中国商人が、華中&華南でさかんに密貿易をおこなったことも、南倭のひとつとされます。
南倭の結果、明王朝は海禁制限をゆるめることとなり、交易の活性化から日本銀やメキシコ銀が明にたくさん入りこんでくるようになります。
経済が向上することで、広東&福建の農民たちが、(規則をやぶって)東南アジアに移り住むようになり、このときの移住者が、のちの華僑へとつながっていきます。
明王朝の衰退

明王朝も後半にさしかかると、さきにあげた北虜南倭から、財政難が深刻となります。
そこで明では改革の動きがおこり、なかでも宰相である張居正が対策をこうじます。
彼はすべての土地を測量したうえで、納税のしくみを大きく変えます。
それまでの両税法から、土地税と人頭税を一括で納入する一条鞭法を施行しますこれにより徴税の手順がシンプルとなり、効率的に税を確保できるようになりました。
とはいえ、税制改革だけでは深刻な財政難は解消できず、むしろ王朝後期になると、
・女真族との交戦
から軍事費がかさみ、よりいっそう財政がひっぱくするようになります。
それにともない王朝内では、危機対応をめぐり、
vs
非東林党&宦官
のあいだでの、党派争いがはげしくなり、政治はさらに乱されていきます。
その後も、宰相の徐光啓などが内政改革にとりくみますが、政治の混乱はおさまりません。
さいごは、明王朝の武将だった李自成が反旗をひるがし、北京攻略後、明王朝は滅亡することになります。
おわりに
明王朝の歴史をみてきました。
まとめると、こんなかんじです。
・里甲制
・賦役黄冊
・魚鱗図冊
・靖難の役
・北虜南倭
・永楽帝
・鄭和
・張居正
・一条鞭法
・李自成
・明の朝貢貿易による海運規制にたいして、北虜南倭というかたちで人びとの不満が高まった
この記事が、明王朝の歴史を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。
では、また。




