どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?
きょうは、この問いに答えていきます。
答えは、つぎのとおり。
・スエズ運河の建設
・ウラービー運動(オラービー運動)
この記事では、つぎの本を参考にしました。
目次
エジプトの近代化① ─ エジプト=トルコ戦争

それまでエジプトは、事実上、オスマン帝国が収めていました。
しかしフランスのナポレオンによるエジプト遠征後、ムハンマド=アリーがエジプト総督に就任し、宗主権のもとオスマン帝国から自立を果たします。
総督とはいえ王朝のかたちをとり、いっぱんに「ムハンマド=アリー朝」とよばれています。
開明君主だった彼は、ヨーロッパに対抗するため、さまざまな近代化政策をおしすすめていきます。
アリーが実施した改革は、つぎの3つです。
・教育制度の見直し
・国内産業の育成(綿花栽培など)
どれもその後のエジプト社会に大きな影響をあたえました。
また外交ではワッハーブ王国を滅ぼし、領土獲得に成功します。
さらにオスマン帝国とギリシャのあいだでおきたギリシャ独立戦争では、帝国を支援した見返りに、シリア地域の割譲を要求します。
エジプトの勢力拡大に恐れをいだいたオスマンは、相手に戦争をしかけます。これがエジプト=トルコ戦争です。
エジプトは戦況を優位にすすめ、なんとか勝利を果たします。
しかしとちゅうでイギリスの干渉に合い、のちに開かれたロンドン会議でシリア領有の放棄を求められます。
交換条件として(オスマン帝国による宗主権のもとでの)エジプト&スーダンの総督位が承認されるものの、それ以上の領土拡大は困難となりました。
エジプトの近代化② ─ スエズ運河の建設

領地獲得が困難となり、外交問題がいったん落ち着くなかで、君主ムハンマドアリーは、エジプト国内の近代化をよりいっそうすすめていきます。
・電信
・工場
を建てて、工業化をはかります。
さらにフランスから建築技師のレセップスを招きスエズ運河建設に着手します。
地中海と紅海の中継地をにぎったうえで、海上貿易による利益を獲得するのがねらいでした。
しかしアリーの計画は失敗に終わります。予想以上の建築費増大から、エジプト政府は財政破綻の危機にひんしたからです。
その結果、スエズ運河の株式を英国に売却し、これ以降のスエズ運河は、イギリス&フランスによる財務管理をうけたうえで、事実上、両国に所有権が移ってしまいます。
エジプトの近代化③ ─ イギリスの保護国化

ムハンマドアリーが退いた後、エジプトはイギリスやフランスの圧力に屈するようになります。
たびかさなる外圧に憤りをおぼえた陸軍将校ウラービーは、エジプト政権に反旗をひるがし、立憲制への政治改革をもとめます。そのさいのスローガンは「エジプト人のためのエジプト」でした(ウラービー運動)。
民族ナショナリズムのもと、彼のクーデターは成功するかにみえました。けれどふたたびイギリスの弾圧にみまわれます。
政権を掌握されたエジプトは、以降40年間、英国の保護国として苦しい国家運営を強いられることになります。
おわりに
エジプトの近代化をみてきました。
まとめると、こんなかんじです。
・スエズ運河の建設
・ウラービー運動(オラービー運動)
この記事が、エジプトの近代化を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。
では、また。




