どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?
きょうは、この問いに答えていきます。
答えは、つぎのとおり。
・ベトナム民主共和国
・ジュネーブ休戦協定
・南ベトナム解放民族戦線
・ベトナム和平協定
・ベトナム社会主義共和国
・ドイモイ
この記事では、つぎの本を参考にしました。
大戦後、ベトナムは2度の戦争をつうじて独立を果たし、統一を実現しました。
以下、
- インドシナ戦争
- ベトナム戦争
- 市場経済導入
の流れで、そのようすをみていきましょう。
目次
ベトナムの独立と統一① ─ インドネシア戦争

インドシナ戦争は、植民地支配をおこなっていたフランスを相手におこした争いです。
ベトナム独立同盟のホー=チ=ミンが大統領に就任しベトナム民主共和国の独立を宣言したことから戦いが勃発しました。
フランスは以前にインドシナをおさめてい阮王朝さいごの皇帝であるバオダイを君主にしたうえで、ベトナム国を樹立させ、ベトナム民主共和国に対抗します。
ここに、
vs
ベトナム国(南ベトナム)
の構図ができあがります。
結果はディエンビエンフーの戦いで打ち勝った民主共和国が勝利を果たします。
それによりジュネーブ休戦協定がむすばれ、フランス軍のベトナムから撤退が決まります。
さらに北緯17度線を南北の境界線としたうえで、しばらくしてのち南北統一選挙をおこなうことが約束されます。
しかしこの協定を、ベトナム民主共和国に反抗する南ベトナムの勢力は認めようとしませんでした。
そんななかで、南ベトナムをおさめていたバオダイが追放され、ゴ=ディン=ジエムを君主とするベトナム共和国が成立します。
彼はジュネーブ協定を無視して、アメリカの支援をうけながら、国内では独裁体制をしきます。
いっぽうでベトナム民主共和国は、南北国境付近に南ベトナム解放民族戦線を形成したうえで、ゲリラ戦を展開し、ベトナム共和国に対抗していきます。
ベトナムの独立と統一② ─ ベトナム戦争

アメリカは南ベトナム解放民族戦線を共産主義による侵攻したうえで、トンキン湾事件での被害を口実し、北ベトナムへの爆撃を開始します。
いっぽうの北ベトナムにたいしてはソ連&中国が軍事支援をおこない、戦争はドロ沼化していきます。
アメリカも本国から50万人をこえる軍隊をおくり、戦況はますます激化していきます。
この状況にアメリカ国内でも反戦運動がおこり、ときの政府は国際的な非難をあびることになります。
高まる国際世論をうけてジョンソン大統領は北爆の停止を発表します。またパリで和平会議を開き、敵方に歩みよりの態度をみせます。
しかし、つぎに就任したニクソン大統領は、南ベトナム解放民族戦線への補給路とされた、いわゆる「ホー=チ=ミン・ルート」をさえぎるために、カンボジア&ラオスへの侵攻を開始します。
これによりベトナム戦争は継続され、約2年間にわたり、にらみ合いがつづくことになります。
最終的には戦争開始から約8年後にベトナム和平協定がむすばれ、アメリカ軍の撤退が決まります。ここにベトナム戦争は正式に終わりをむかえることになります。
ベトナムの独立と統一③ ─ 市場経済導入

アメリカ軍が撤退したのち、社会主義の北ベトナム軍が都市サイゴンを占領します。
さらに軍事政権のもとで、南北統一選挙が実施され、ベトナム社会主義共和国が成立します。
しかし社会主義政策はうまくいかず、国内の統治は安定しません。
また外交にかんしても、隣国のカンボジアに軍事介入をおこない、中国との戦争にまで発展します(中越戦争)。
以上のできごとから、ベトナム経済はいちじるしく停滞し、大量の難民が発生します。
その後、対外戦争から撤退し、国内整備に着手したベトナム社会主義共和国は「ドイモイ(刷新)」とよばれる経済改革を実施します。
一部、市場経済を導入して、社会の自由化を促進します。
さらに外交面では、敵対していたアメリカと国交を回復し、東南アジア諸国の経済同盟である ASEAN に加入します。
おわりに
ベトナムの独立と統一をみてきました。
まとめると、こんなかんじです。
・ベトナム民主共和国
・ジュネーブ休戦協定
・南ベトナム解放民族戦線
・ベトナム和平協定
・ベトナム社会主義共和国
・ドイモイ
この記事が、ベトナムと独立と統一を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。
では、また。



