東南アジア諸国の独立 ─ 課題・混乱・九・三〇事件・ポルポト・アウンサンスーチー・スカルノ【世界史】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・東南アジア諸国の独立について知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・九・三〇事件
・アチェ問題
重要人物
・ポル=ポト
・アウンサンスーチー
・スカルノ
ポイント
・独立運動後、フィリピン&インドネシア&シンガポールでは開発独裁がすすんでいった
・インドネシアは九・三〇事件以降、スハルト政権のもと親米反共路線に転換した

この記事では、つぎの本を参考にしました。

第二次大戦後、東南アジア諸国の独立がすすんでいきます。

以下、

  • カンボジア
  • ビルマ
  • フィリピン
  • インドネシア
  • マレーシア

に焦点をあてて、そのようすをみていきしょう。

東南アジア諸国の独立① ─ カンボジア

ポル・ポト

それまでフランスの宗主国だったカンボジアは、国王シハヌークのときに独立し、資本主義陣営/社会主義陣営にとわれない中立政策を実施します。

しかしその後、国内では内戦がおこり、親アメリカの右派勢力がクーデタをおこし、シハヌーク国王を追放します。それにより、国内はよりいっそう混乱し、

親米右派勢力
vs
赤色クメール(ポル=ポト勢力)

の対立が鮮明になっていきます。

たびかさなる内部紛争を経て「民主カンプチア」とよばれるポル=ポト政権が誕生します。

指導者のポル=ポトは、中国と協力したうえで、農業を主軸とした社会主義国の建設をおこないます。

しかしそれは外国資本を寄せつけない、極めて閉じた共産主義体制でした。

そのためポル=ポトは独裁をしいたうえで、すこしでも反抗する者には弾圧をくわえ、さいごは大量虐殺(ジェノサイド)にまで発展しました。

そんななか、同じ社会主義国であるベトナムが軍事侵攻を開始します。結果、ベトナム軍の支援をうけたヘン=サムリンが政権を成立させ、カンボジア人民共和国を樹立します。

いっぽうポル=ポトひきいる民主カンプチアは中国の支援をうけながら、ベトナムにたいして対抗戦争をおこします(中越戦争)。

これ以降、国内秩序は安定せず、

ヘム=サムリン政権
vs
反ベトナム3派連合(ポル=ポトなど)

を構図とした内戦が、よりいっそう激しくなっていきます。

約10年におよぶ内戦の結果、国内で経済改革をすすめたベトナムが軍を撤退させ、また冷戦体制終結の影響は、争いそのものがおさまっていきます。

最終的には、カンボジア和平協定がむすばれ停戦状態となります。

その後、国連のカンボジア暫定行政機構のもとで選挙がなされ、シハヌークを国王としたカンボジア王国が成立します。

東南アジア諸国の独立② ─ ビルマ

アウンサンスーチー

そこからビルマ連邦共和国が成立し、独立を果たします。

しかしその約20年後に、東西冷戦体制のあおりをうけて社会主義政権による独裁体制がしかれます。

ソ連や中国の保護のもと、国内はそれなりに安定しますが、東西冷戦体制がゆらぐころ、社会主義政権にたいして軍部がクーデタをおこします。

かれらは国名をミャンマーとしたうえで、それまでの政権と同じく独裁体制をしきます。

民主化をもとめるアウンサンスーチーの努力もむなしく、そのまま独裁政権がつづいています。

東南アジア諸国の独立③ ─ フィリピン

マルコス

戦後のフィリピンは、アメリカが宗主国となっていました。

そんななかフィリピン共和国がアメリカから独立を果たします。共和国は米比相互防衛条約をむすび、反共産主義&親アメリカ路線をとって、国内の共産主義勢力をおさえこみます。

マルコス政権が誕生すると、彼は開発独裁をおこない、国内の経済発展をおしすすめていきます。

いっぽう政府内では腐敗と汚職が進行し、大統領選挙では、政敵であるベニグノ=アキノの暗事件までおきています。

公然と不正選挙をおこないマルコス政権に、ついに民衆から反発の声があがり、フィリピン革命が勃発します。

結果、マルコスは国外逃亡し、かわってコラソン=アキノ政権が成立します。

東南アジア諸国の独立④ ─ インドネシア

スカルノ

戦後のインドネシアは、オランダの宗主国でした。

そのなかから対戦集結直後に、大統領をスカルノとした、インドネシア共和国が成立します。

共和国は独立を宣言するものの、オランダからの抵抗も激しく、約4年にわたり独立戦争を展開します。

独立戦争を勝ち抜いたスカルノは、アジア=アフリカ会議をひらき、東西対立にまきこまれない、親ソビエト&親アメリカ路線を宣言します。

しかし彼の平和活動はなかなか進展せず、国内では軍部によるクーデタが発生します。

これによりインドネシア共産党政権は崩壊後し、トップのスカルノも失脚します(九・三〇事件)。

かわって就任したスハルト大統領は、親アメリカ&反ソ連をかかげ、開発独裁をおしすすめます。

そののちインドネシアは急激に経済発展するものの、長期にわたる独裁により政権は腐敗し、経済もじょじょに落ちこんでいきます。

アジア通貨危機がおこると、インドネシア経済は大きな打撃をうけ、その責任をおわされるかたちでスハルトも失脚することになります。

いっぽう外交では隣国の東ティモールを併合するものの、ふたたび独立を認めることになります。

またアチェ問題では、スマトラ島北部アチェ州で、インドネシアからの独立をもとめる運動がおこります。インドネシア政府は鎮圧に乗りだすものの、アチェ人の抵抗は激しく、最終的には停戦協定をむすぶことになります。

東南アジア諸国の独立⑤ ─ マレーシア

マラヤ連邦 内閣(1955年)

大戦後のマレーシアは、イギリスの宗主国でした。

そこから約15年近くたって、ようやくマラヤ連邦がイギリスからの独立を果たします。

このマラヤ連邦にシンガポールと英領ボルネオが加入し、いまのマレーシアが成立します。

しかし不満をもったシンガポールは、その2年後に独立を要求し、分離されます(以後、シンガポールはリー=クアンユーのもと開発独裁がおこなわれていきます)。

おわりに

東南アジア諸国の独立をみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・九・三〇事件
・アチェ問題
重要人物
・ポル=ポト
・アウンサンスーチー
・スカルノ
ポイント
・独立運動後、フィリピン&インドネシア&シンガポールでは開発独裁がすすんでいった
・インドネシアは九・三〇事件以降、スハルト政権のもと親米反共路線に転換した

この記事が、東南アジア諸国の独立を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。