戦後のソ連 ─ 大統領・コミンフォル・ワルシャワ条約機構・グラスノスチ・ペレストロイカ【世界史】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・戦後のソ連について知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・コミンフォルム
・コメコン
・ワルシャワ条約機構
・雪どけ
・キューバ危機
・プラハの春
・グラスノスチ
・ペレストロイカ
・チェルノブイリ原子力発電所事故
・独立国家共同体
重要人物
・スターリン
・フルシチョフ
・ブレジネフ
・ゴルバチョフ
・エリツィン
ポイント
・グラスノスチ&ペレストロイカなど、ゴルバチョフによる組織改革は失敗におわり、ソ連は崩壊した

この記事では、つぎの本を参考にしました。

以下、

  • スターリン
  • フルシチョフ
  • ブレジネフ
  • ゴルバチョフ

の順で、歴代大統領にスポットをあてて、戦後のソ連をみていきましょう。

戦後のソ連① ─ スターリン

スターリン

戦後のソ連は、ひきつづきスターリンが政権をにぎっていました。

彼は大戦中に東ヨーロッパ諸国をナチス=ドイツの圧政から解放し、戦後は衛星国としたうえでコミンフォルムを結成します。

また経済協力機関であるコメコンを結成し、資本主義陣営からの防衛をはかっていきます。

さらにアメリカへの対抗から原子爆弾を保有し、内密に核実験をおこなっていきます。

東アジア地域にかんしては、同じ社会主義国である中国との連携をはかり、中ソ友好同盟相互援助条約をむすびます。

戦後のソ連② ─ フルシチョフ

フルシチョフ

スターリンのあとをひきついだのがフルシチョフです。

彼はソ連共産党第20回大会で、それまでのスターリン政権を批判し、政治方針を大きく転換します(スターリン批判)。

東ヨーロッパ諸国に圧力をくわえていたコミンフォルムを解散し、平和共存路線をおしすすめます。

ただしソ連から〝縛り〟がゆるんだことで東欧では反ソ連の暴動が頻発します。

さらにフルシチョフが社会主義政策を資本主義寄りにかえたで、中国との対立をひきおこすことになります。

いっぽう軍事にかんしてはワルシャワ条約機構を結成し、アメリカへの防衛対策をひきつづきおこないます。

しかしソ連はアメリカへの歩みよりをみせ、

・アメリカ
・イギリス
・フランス

が参加したジュネーブ会談では、西側陣営とも協調関係を結び、さらにフルシチョフ自身も訪米します。

その3年後にはキューバ危機がおこりますが、部分的核実験禁止条約がむすばれ、東西冷戦はじょじょに解消へとむかっていきます。

戦後のソ連③ ─ ブレジネフ

ブレジネフ

農業政策で失脚したフルシチョフにかわり、大統領に就いたのがブレジネフでした。

彼はフルシチョフとはうってかわって、国内では言論弾圧を強化し、社会主義政策を積極的におしすすめていきます。

これによりソ連経済は停滞し、体制そのものにかげりがみえはじめます。

外交にかんしては、チェコでおきた反共産主義運動を弾圧し、ブレジネフ=ドクトリン(制限主権論)をとなえます(プラハの春への弾圧)。

さらに同じ社会主義国である中国とも国境紛争をくりかえし、隣国のアフガニスタンにも軍事侵攻をはじめます。

ブレジネフによる一連の政策により、ソ連経済はいちじるしく後退し、一党独裁の弊害がさまざまな面で露出していきます。

戦後のソ連④ ─ ゴルバチョフ

ゴルバチョフ

約15年にわたるブレジネフ政権ののち、あとをついだのがゴルバチョフ大統領でした。

彼はソ連停滞の危機感から、民主化&自由化をおしすすめます。

内政については、つぎの政策をおこないました。

・グラスノスチ(情報公開)
・ペレストロイカ(改革)

グラスノスチは「情報公開」という意味で、これにより言論の自由化をはかりました。

またペレストロイカにより市場経済の導入を図り、官僚統制による拘束をゆるめました。

さらにチェルノブイリ原子力発電所が爆発したことで官僚管理への批判が高まり、この事故をうけて政治改革はよりいっそうすすんでいくことになりました。

また政治制度も大きく見なおし複数政党制を導入することで、共産党支配に代わる新たな統治制度を模索していきました。

いっぽう外交では「新思考外交」を展開します。

まず新ベオグラード宣言をおこない、それまでの「制限主権論」を放棄します。

さらにアフガニスタンからの撤退を決め、マルタ会談ではアメリカとのあいだで冷戦終結を宣言します。

また争っていた中国とも国交正常化をはかり、同じ社会主義国にたいして、

・コメコン解消
・ワルシャワ条約機構解消

をおこない、対等な関係をむすんでいきます。

そんななか、自由化を進めるゴルバチョフにたいして共産党の保守派がクーデターを起こします。

計画は失敗におわりますが、これにより共産党そのものが解体してしまいます。代わって独立国家共同体が成立し、これにより事実上ソ連が消滅することになります。

ゴルバチョフのあとをついだのがエリツィンで、彼はロシア連邦初代大統領に就任します。

独立国家共同体の下、価格の自由化など、積極的に市場原理を導入していきます。

いっぽう外交にかんしては強硬路線を展開し、チェチェン紛争などの問題をおこしていくことになります。

おわりに

戦後のソ連をみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・コミンフォルム
・コメコン
・ワルシャワ条約機構
・雪どけ
・キューバ危機
・プラハの春
・グラスノスチ
・ペレストロイカ
・チェルノブイリ原子力発電所事故
・独立国家共同体
重要人物
・スターリン
・フルシチョフ
・ブレジネフ
・ゴルバチョフ
・エリツィン
ポイント
・グラスノスチ&ペレストロイカなど、ゴルバチョフによる組織改革は失敗におわり、ソ連は崩壊した

この記事が、戦後ソ連を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。