どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
・大事なキーワードは?
・この時代のポイントは?
きょうは、この問いに答えていきます。
答えは、つぎのとおり。
・キューバ危機
・公民権法
・ドルショック
・先進国首脳会議
・マルタ会談
・ベトナム戦争はアメリカ全土に反戦運動をまきおこし、戦争での敗北はアメリカ社会に大きな影響をあたえた
この記事では、つぎの本を参考にしました。
以下、
- トルーマン
- アイゼンハワー
- ケネディ&ジョンソン
- ニクソン&フォード
- カーター
- レーガン
- ブッシュ
の順で、歴代大統領に焦点をあてて、戦後アメリカの流れをみていきます。
目次
戦後のアメリカ① ─ トルーマン

アメリカは、トルーマン(民主党)大統領のときに戦後をむかえます。
内政ではフェアディールをとなえ、先代のルーベルト大統領によるニューディール政策をひきつぎ実行していきます。
またソ連への警戒からアメリカ国内では赤狩りが横行し、共産主義者と思われる人びとがつきつぎ逮捕されていきます。
いっぽう外交では、いわゆる「トルーマン=ドクトリン」をとなえ、ソ連にたいして封じ込め政策をおこないます。
戦争で疲弊したヨーロッパ諸国にたいしてはマーシャル=プランを実施し、積極的に経済支援をおこなっていきます。
東アジアにかんしては、朝鮮戦争に介入し、日本&韓国&台湾とのあいだで軍事同盟をつくりあげていきます。
戦後のアメリカ② ─ アイゼンハワー

トルーマンをひきついだのが、アイゼンハワー(共和党)でした。
内政にかんしては、これまでと変わらずに中道政治を心がけます。しかし政権が民主党から共和党に移ったことから、この頃から富裕層との連携がみられるようになり、いわゆる「軍産複合体」がだんだんと形づくられていきます。
いっぽう外交では、国務長官ダレス指導のもと「巻き返し政策」を提唱します。
これは、
のことです。
それまでのトルーマンによる強硬外交を批判するものでしたが、じっさいはジュネーブ4巨頭会談が開かれるなど、アメリカとソ連の緊張関係はじょじょに和らいでいきます(雪どけ)。
キャンプ=デービッド会談では、ソ連トップのフルシチョフが訪米し、歩みよりの態度をみせます。
しかしこのときに隣国のキューバ革命がおこり、政治体制が社会主義にかわります。あわてたアメリカはキューバとの国交を断絶し、つねに警戒の目をむけるようになります。
戦後のアメリカ③ ─ ケネディ&ジョンソン

任期満了のち、アイゼンハワーをひきついだのがケネディ大統領です。
内政ではニューフロンティア政策をうちだし、アポロ計画など宇宙開発にとりくみます。
また公平な権利をもとめる公民権運動にも理解をしめし、ワシントン大行進が実施されます。
いっぽう外交にかんしては、キューバ核保有のニュースがとびこみ、いわゆる「キューバ危機」が発生します。
あわや地球全体をまきこむ核戦争に発展しそうでしたが、ケネディの粘りづよい交渉により、なんとか危機を回避します。
これにこりたアメリカ&ソ連は、ほかの核保有国によびかけて、部分的核実験禁止条約を調印します。
また高まる民族独立運動にたいして、発展途上国を中心に経済支援をおこない、貧困や格差是正を図ろうとします(ただし、このときの海外支援は一部の富裕層を豊かにさせるだけで「新植民地主義」だと批判されました)。
その後ケネディは暗殺され、代わって副大統領のジョンソンが大統領に就任します。
彼は「偉大な社会」というスローガンをかかげ公民権法を制定させます。
これにより人権運動がもりあがり、ここから黒人差別の撤廃を訴えるキング牧師が活躍していきます。
いっぽう外交にかんしては、社会主義諸国への対抗から北ベトナムに軍隊を派遣し、空爆をおこないます。
しかしゲリラ戦に苦しむアメリカはつねに劣勢に立たされ、ベトナム戦争は泥沼化していきます。そんな悲惨な状況をうけて、アメリカ国内では人権運動と合わさるかたちで反戦運動が展開していきます。
戦後のアメリカ④ ─ ニクソン&フォード

ジョンソンのあとをひきついだのがニクソンでした。
世界ではだんだんと反戦運動や学生運動が下火になるなかで、経済はよりいっそう国際化がすすんでいきます。
するとそれまで世界経済をひっぱってきたアメリカがじょじょに劣勢に立たされるようになり、アメリカドルが基軸通貨の役割を果たさないのようになっていきます。
そこでニクソンは通貨価値の下げ止まりを図るため、金ドル兌換の停止を宣言します(ドルショック)。
これによりアメリカドルを軸として固定相場制が崩れ変動相場制へと移行します(ブレトン=ウッズ体制の崩壊)。
その結果、世界経済は〝アメリカ単独〟から、
・ヨーロッパ
・日本
の三極構造へと転換します。
また財政面でも苦しくなってきたアメリカは、軍事費削減のため、社会主義国にふたたび歩みよりをみせるようになります。
その一環として中国にニクソン大統領が訪れ、米中共同声明を発表します。
さらにベトナム和平協定をむすび、正式にベトナムからのアメリカ軍撤退を決めます。
その後ニクソンは国内でウォーターゲート事件をおこし、大統領辞任においこまれ、失脚します。
かわりに就いたフォードは、ニクソン大統領の政策をひきつぎ先進国首脳会議(サミット)をひらくなど、ほかの国々と良好な関係をきずいていきます。
戦後のアメリカ⑤ ─ カーター

フォードのあとをついだのが、カーター大統領です。
彼はよりいっそう外交に力を入れて、いわゆる「人権外交」を展開していきます。
キャンプ=デービッド合意により、エジプト=イスラエル平和条約に介入し、中東地域の安定にとりくみます。
さらに中国とも正式に国交をむすび、よりいっそう社会主義国に歩みよりをみせます。
戦後のアメリカ⑥ ─ レーガン

カーターをひきついだのがレーガン大統領です。
内政にかんしては、ふくらむ財政支出を削るため「小さな政府」をかかげます。
民間主導の自由競争を推進するいっぽう、福祉の切り捨てをおこっていきます。
それでも財政赤字は解消されず、貿易赤字もつづいたために、いわゆる「双子の赤字」をかかえることになります。
これよりアメリカは戦後はじめて債権国から債務国に転落したため、諸外国にたいして経済の働きかけをおこないます。
そのうちのひとつが意図的に円高をひきおこしたプラザ合意でした。
その結果、狙いどおり円高ドル安になったものの、為替変動を警戒した投資家が株を売り払い、株価は大暴落します。
いっぽう外交にかんしては「強いアメリカ」をかかげ(財政難にもかかわらず)軍備の増強をおこないます。
ただし核の削減には積極的で、核保有国を中心に、中距離核戦力全廃条約をむすびます。
戦後のアメリカ⑦ ─ ブッシュ

レーガンをひきついだのが、ブッシュ大統領でした。
このとき世界では共産主義体制が崩壊し、ソ連をはじめ社会主義国がつぎつぎ倒れていきます。
これをうけてアメリカはマルタ会談をひらき、正式に冷戦体制の終結を宣言します。
しかし冷戦崩壊後も、中東地域での争いはおさまりません。〝世界の警察〟を標榜するアメリカは、フセインによる軍事侵攻に対処するため、自国の軍隊を中心とした多国籍軍を派遣します。
おわりに
戦後のアメリカをみてきました。
まとめると、こんなかんじです。
・キューバ危機
・公民権法
・ドルショック
・先進国首脳会議
・マルタ会談
・ベトナム戦争はアメリカ全土に反戦運動をまきおこし、戦争での敗北はアメリカ社会に大きな影響をあたえた
この記事が、戦後のアメリカを理解するさいのヒントになれば、うれしいです。
では、また。




