ナチス政権 ─ 背景・終わり・ユダヤ人・親衛隊・ゲシュタポ・全権委任法【わかりやすく解説】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・ナチス政権について知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・国家社会主義ドイツ労働者党
・全権委任法
・一党独裁
・親衛隊
・ゲシュタポ
・再軍備宣言
・仏ソ相互援助条約
・人民戦線内閣
・ラインラント進駐
重要人物
・ヒトラー
・ブルム
ポイント
・ナチスのヒトラーは、全権委任法により独裁体制を成立した、総統の座に就任した

この記事では、つぎの本を参考にしました。

ナチスの正式名は国民社会主義ドイツ労働党です。指導者は言わずとしれたヒトラーです。

以下、ナチスの台頭までを[背景 → 展開 → 進展 → 影響]に沿ってみていきましょう。

ナチス政権① ─ 背景

ミュンヘン一揆(ヒトラーの襲撃隊の逮捕される社会主義議員)

ナチスの活動は第一次大戦後から始まります。

熱のこもった宣伝活動から支持者をあつめ、政権獲得の直前まで勢力をのばしました。

ヒトラーをはじめとするメンバーは、フランス&ベルギーによるルール占領に乗じて、ドイツ国内で武装蜂起を決行します(ミュンヘン一揆)。

しかしクーデターは失敗におわり、ヒトラーも投獄されます。

牢獄に入った彼は『わが闘争』を口述筆記しながら、ナチスの活動を合法的におこなっていくこと決意します。

そのさいの主張は、

・ヴェルサイユ条約の破棄
・植民地の再分配
・不労所得廃止
・反共産主義

といったものでした。

総じてみれば、すべてドイツ人の利益になる政策ばかりです。

いっぽうですでにこの頃から、

・ドイツ民族の優勢性
・ユダヤ人の排斥

を訴えています。

これらがのちにホロコーストを生みだすきっかけとなるのは知ってとおりです。

ナチス政権② ─ 展開

ヒトラーと突撃隊

ヒトラーが出所したあと、ナチスは本格的に政治活動を再開させます。

その当時は世界恐慌の影響でドイツ経済は苦境におちいっていました。

失業率は約30%で、失業者の数は600万にものぼりました。

そんな危機にもかかわらず、ときの政治は小さな政党が乱立し、議会はほとんど機能していませんでした。

事実上のトップとして大統領がおかれていましたが、緊急令を濫発するばかりで実効性のある政策はまったく実施されません。議会や大統領にドイツ国民はうんざりし、民主政そのものに期待をいだかなくなります。

そんな暗いムードのなかで台頭したのがナチスでした。

かれらは「突撃隊」とよばれる〝PR団体〟を結成したうえで、大衆宣伝を積極的におこないます。ナチスは最先端のメディアだったラジオや映画を駆使し、自分たちの主張をアピールしていきます。

それにより、先行きのみえたい世界情勢に不安をいだく農民&中間層がとりこまれていきます。

さらに、ナチスの積極財政に利権や権限のニオイをかぎつけた資本家や軍人たちまでが支持を表明します。

こんな政治状況のなかで1932年の総選挙がおこなわれます。

躍進が期待されたナチスですが、当初は過半数に届きませんでした。しかしそのときちょうど、ナチスと同じく共産党もまた票をのばしていました。

これに警戒感を示したのが保守派や資本家たちです。共産党政権が誕生するとなれば、かれらの権限や財産はすべて没収となるからです。

その結果、(共産党よりもマシな)ナチ党に保守派&資本家の支持があつまることになります。

こうしてナチスは、第一次大戦の主導者であるヒンデンブルクを大統領にすえたうえで、大統領緊急令を発布し内閣を組織します。

ナチス政権③ ─ 進展

全権委任法成立後に演説するヒトラー

その後、ヒンデンブルクに代わって、ヒトラーが党首に就任し、ついにヒトラー内閣が成立します。

トップとなったヒトラーは国民の支持を背景に、強権的な行動をくりかえします。

敵対する共産党にたいしては国会議事堂放火事件を利用し、かれらメンバーを徹底的に弾圧します。

また国会では全権委任法を成立させ、政府にも法律をつくる権限をあたえます。

さらにナチス以外の政党をすべて解散させ、すべての議員をナチ党に吸収します。これにより事実上、ヒトラーの一党独裁が確立します。

共同統治者であるヒンデンブルクが亡くなったあとは、ヒトラーは総統(フューラー)の座に就任します。

これにより彼は

・大統領
・議員首相
・ナチス党首

の全権限を獲得し、ヒトラー個人の独裁かが完成することになります。

内政

政権を掌握したヒトラーは、内政/外交ともに、積極的かつ強権的な政策をおこなっていきます。

内政について、おもな政策はつぎの3つです。

・失業者対策
・労働者対策
・言論統制

失業者対策では、有名なアウトバーン(自動車専用道路)をつくり物流の向上をはかります。

さらに4カ年計画を制定し、軍需産業の振興をはかりました。

労働者対策では、労働組合を解散させるいっぽう、働き手に恩恵をあたえるため、映画や旅行などのエンタメを提供します。

言論統制では親衛隊ゲシュタポ(国家秘密警察)を結成したうえで、市民への監視と弾圧をつよめていきます。

これにより、

・ユダヤ人迫害
・少数民族の排斥
・自由主義者&共産主義者への弾圧

が公然とおこなわれるようになります。

外交

内政と同じく、ヒトラーは外交でも強権的な政策をくりかえします。

ヒトラー内閣が成立したその年に、すぐさま国際連盟も脱退します。

それにともない、ヴェルサイユ条約で国際連盟の管理下におかれていたザール地方を併合します。

さらに同じ年には再軍備宣言をおこない、イギリスやフランスなど連盟国側から禁止されていた徴兵制を復活させます。これによりドイツは50万の常備軍と空軍を保有することになります。

こうして一連の外交政策により、第一次大戦後にむすばれたヴェルサイユ条約が破棄されることになります。

ナチス政権④ ─ 影響

イタリア軍によるエチオピア侵攻

ナチスの台頭は、ヨーロッパ各国にさまざまな影響をあたえました。

フランス

フランスにかんしては、隣国からの脅威から、ドイツをはさみうちにするかたちで、ソ連と協定をむすびます(仏ソ相互援助条約)。

これはブルム首相による人民戦線内閣のもとでなされたもので、ナチスの政権獲得と再軍備宣言に対抗するものでした。

なお、ドイツは仏ソ相互援助条約を口実にラインラント地域に軍をすすめます(ラインラント進駐)。

これにより平和条約であるロカルノ条約は事実上、破棄されることになります。

イギリス

いっぽうイギリスについては、ある程度ドイツに譲歩するかたちで英独海軍協定がむすばれます。

その内容は、

ドイツの再軍備を承認したうえで、ドイツ海軍がイギリスの海軍水上艦船を35%保有する

といったものでした。

イタリア

イタリアにかんしては、ドイツの強権外交に応じるかたちで対外侵略をはじめます。背景には世界恐慌によるイタリア経済の不況がありました。

軍侵攻のひとつがエチオピア侵略で、翌年には併合を果たします。

これにたいして国際連盟も経済制裁を実施しますが、ほとんど効果はありませんでした。さらに悪いことにイタリアは国際連盟を脱退し、その2年後にはアルバニアの併合を果たしています。

おわりに

ナチス政権をみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・国家社会主義ドイツ労働者党
・全権委任法
・一党独裁
・親衛隊
・ゲシュタポ
・再軍備宣言
・仏ソ相互援助条約
・人民戦線内閣
・ラインラント進駐
重要人物
・ヒトラー
・ブルム
ポイント
・ナチスのヒトラーは、全権委任法により独裁体制を成立した、総統の座に就任した

この記事が、ナチス政権を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。