【世界史】近代ヨーロッパの歴史 まとめ

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・近代ヨーロッパの流れを知りたい
・大事なキーワードは?
・重要な人物は、だれ?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

流れ
① アメリカ独立革命
② フランス革命
③ 産業革命
④ 啓蒙思想
⑤ フランスの動向
⑥ イギリスの動向
⑦ ドイツの動向
⑧ ロシアの動向
⑨ アメリカの動向
キーワード
・13植民地
・合衆国憲法
・三部会
・立憲君主派/ジロンド派/ジャコバン派
・恐怖政治
・ウィーン会議(ウィーン体制)
・七月革命&二月革命
・パックス=ブリタニカ
・クリミア戦争
・日露戦争
・南北戦争
重要人物
・ルイ16世&マリ=アントワネット
・ロベスピエール
・ナポレオン
・ルイ=ナポレオン
・ヴィクトリア女王
・ビスマルク
・アレクサンドル2世
・リンカーン

1700年代以降、近代ヨーロッパでは、政治の中心は、王(=国王)から、人びと(=民衆)に移ります。

これまでは、国王の権限で、国家運営がなされていました。

近代以降は、民衆(=国民)の合意で定まる「法」によって国家が運営されます。

そのプロセスのなか、ヨーロッパ各国で「革命(Revolution)」が起こります。

政治における大転換を「市民革命」とよびます。

アメリカでは「アメリカ独立戦争」が、フランスでは「フランス革命」がおこりました。

政治面でも大転換がおきるなか、経済面でも革命が起こります。

イギリスでおきた「産業革命」です。

年代としては、1700年ごろ〜1800年ごろにあたります。

産業革命以降、ヨーロッパにかぎらず、人類全体は豊かになっていきます。

また、学術面でも、転換が起こります。

啓蒙思想の広まりです。

思想家たちの作品が、人間の精神や、社会制度に影響を与えていきます。

ヨーロッパ地域全体のしくみが変わるなか、各国のようすは、どうだったのか。

軸となる国は、

・フランス
・イギリス
・ドイツ
・ロシア
・アメリカ

の5ヶ国です。

….

この記事では、つぎの本を参考にしました。

以下、目次にそって、みていきます。

目次

近代ヨーロッパの歴史① ─ アメリカ独立革命

アメリカ独立革命のポイントをあげると、こんなかんじ。

  • 13植民地の団結
  • ボストン茶会事件
  • トマス=ペイン『コモン=センス』の出版
  • ジェファソンたちによる独立宣言
  • 「パリ条約」での「合衆国憲法」の制定

年代としては、1700年ごろ〜1800年ごろにあたります。

それぞれカンタンにみていきます。

13植民地の団結

アメリカ大陸を発見してから、ヨーロッパ諸国は、開拓をおこない、植民地を建設きました。

1700年代、北アメリカ大陸に、植民地を建てていたのが、イギリスでした。

「13」に分かれ、おたがいに独立を保ってました。

「13植民地」とよばれます。

そんななか、本国イギリスが、戦費調達のため、植民地にたいして税金をかけます。

砂糖・コーヒー・ワインなど、さまざまモノに、重税を課してきたのです。

この動きに、13植民地は反抗します。

バラバラだった地域は、団結し、イギリスに反旗をひるがえします。

これまでは、植民地の議会に、イギリスの代表者が顔を出さない状況でした。

「代表なくして課税なし」 ─ 。

こんなスローガンをかかげ、課税を拒否しました。

ボストン茶会事件

さらにイギリスは、重税にくわえ、「茶法」という法律を制定します。

これにより、東インド会社は、アメリカで「茶葉」を独占販売できるようになります。

不公平なふるまいに、アメリカ貿易商たちが、東インド会社の船をおそい、茶葉がつまった箱を、海に投げすてます。

「ボストン茶会事件」とよばれます。

この事件をきっかけに、独立戦争が勃発します。

トマス=ペイン『コモン=センス』の出版

植民地のアメリカは、軍事面では劣勢でした。

しかし、戦争にたいする民衆の気運を高めることで、戦況を乗りきろうとします。

政治活動家「トマス=ペイン」は、『コモン=センス』を発表し、民衆に分かるコトバで、「独立の必然性」を訴えます。

まっとうな主張で、世論をあと押しします。

ジェファソンたちによる独立宣言

つづいて、アメリカの政治家「ジェファーソン」たちによって、「アメリカ独立宣言」が作成されます。

「13植民地」が、本国イギリスから独立することを明記し、アメリカ議会「大陸会議」で承認されました。

ちなみに、採択された「1776年7月4日」なので、7月4日が「アメリカ合衆国の独立記念日(Independence Day)」となりました。

「パリ条約」での「合衆国憲法」の制定

ついに、戦争が勃発 ─ 。

イギリスのライバルであるフランスは、兵士をおくり、アメリカを支援。

また、チカラをつけてきたロシアも物資をおくり、間接的にサポートします。

両国の助けもあり、戦況は有利に働きます。

結果、軍人「ワシントン」の指揮のもと、「ヨークタウンの戦い」で、イギリスに勝利をおさめます。

敗北により、イギリスは「パリ条約」で、アメリカの独立を承認します。

さらに4年後、アメリカで「合衆国憲法」が制定 ─ 。

こうして、いまの「アメリカ合衆国」が誕生します。

出典:『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』

近代ヨーロッパの歴史② ─ フランス革命

「アメリカ独立革命」は、イギリスに対抗し、民衆がストレートに権力を獲得しました。

いっぽう「フランス革命」でも、市民が権力を得て、議会を設立しました。

けれど、民主政に移行するまでには、つぎのようなプロセスをたどることになります。

・王政(ルイ16世)

・共和政(国民公会)

・独裁(ロベスピエール)

・共和政(総裁政府)

・独裁(ナポレオン)

大まかな流れをふまえつつ、フランス革命のなかみをみていきます。

ポイントは、つぎのとおり。

  • 「国民議会」の設立
  • フランス人権宣言
  • 立憲君主派 vs ジロンド派
  • 王の公開処刑
  • ジャコバン派による「恐怖政治」
  • ナポレオンの皇帝就任
  • ナポレオンによる対外戦争

順々に、たどっていきます。

「国民議会」の設立

絶対王政をしいていたフランス ─ 。

権力は、国王に集中していました。

そして、社会は、3つの身分に分かれていました。

・聖職者(第一身分)
・貴族(第二身分)
・平民(第三身分)

いっぽう、当時のフランスは、ヴェルサイユ宮殿の建設&戦費増大などで、財政難に苦しんでいました。

平民(民衆)の税負担も、限界に達していました。

そこで、国王「ルイ16世」は、まだ余裕のある「聖職者」「貴族」にたいして、課税をかけます。

ですが、当然のように、反発を受けます。

さらに、国王に不満をもつ両階層は、「三部会」の開催を要求します。

三部会には、聖職者&貴族のほかに、平民階層も加わります。

ここで話し合いがなされますが、両者の利害が一致せず、折り合いがつきません。

聖職者&貴族は、税金を払いたくない ─ 。いっぽう、平民階層は、両階層に税金を払ってもらいたい ─ 。
当然ながら、意見が一致するはずはありません。

けっきょく、議論は平行線をたどったまま、平民階層が、三部会を離脱 ─ 。

さらに、自分たちの議会として「国民議会」を設立します。

フランス人権宣言

国民議会の設立に反対する、

・国王「ルイ16世」
・王妃「マリ=アントワネット」

は、民衆に圧力をくわえます。

権利を侵害され、「抵抗すべし」と感じた民衆は、武器を調達するため、「バスティーユ牢獄」を襲います。

犯罪者たちを解放しながら、銃や爆薬を奪い取ります。

武器を手にした民衆は、「国民議会」の正当性を訴え、

・自由
・平等
・国民主権

の理念を掲げます。

これが「フランス人権宣言」です。

出典:『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』

ヴァレンヌ事件 ─ 国王の亡命未遂

勢いをつける民衆は、ヴェルサイユに滞在する、ルイ16世&マリ=アントワネットを、パリに連行─ 。

軟禁状態にして、拘束します。

しばらくして、耐えきれなくなった国王一家は、アントワネットの故郷「オーストリア」に亡命を図ろうとします。

身分を装い、フランス国外に逃げようとしますが、途中の「ヴァレンヌ」という町で、一般市民に見つかってしまいます。

町の名前から、この亡命騒ぎを「ヴァレンヌ事件」とよびます。

国王の逃亡未遂を受けて、民衆たちは、王室へ信用をなくしていきます。

立憲君主派 vs ジロンド派

「国民議会」では、「国王の対処」について、2つの意見に分かれました。

立憲君主派/ジロンド派 ─ 2つの派閥です。

それぞれ、つぎのような考えをもっていました。

・立憲君主派 → 王を存続しつつ、法で国を統治
・ジロンド派 → 王を認めず、憲法で国を統治

立憲君主派は、王をそのままにしつつ、いままでの法律で国を治めようとする考え ─ 。

いっぽう、ジロンド派は、国王をなくし、新たな法律をつくり(=憲法)、国を統治する考え ─ 。

当然、民衆は「ジロンド派」を支持します。

それにより、王室は、よりいっそう厳しい立場に、追いやられます。

「王政」から「共和政」へ

そこで、ルイ16世は、妻「マリ=アントワネット」の出身国である「オーストリア」に支援を要請 ─ 。

フランス国内で争いが起こり、各地で被害が多発します。

すると、民衆のあいだで、

王室は、フランスではなく、外国に味方している

といった意見が広がります。

怒りに燃える平民階層は、ルイ16世&マリ=アントワネットを監獄におくり、死刑を要求 ─ 。

結果、引きずり出された二人は、民衆のまえで、処刑されます。

これにより、フランスは、「王政」から「共和政」へと移行します。

ジャコバン派による「恐怖政治」

王権を廃止ことで、新たな議会「国民公会」が設立されます。

男子普通選挙も実施され、かたちのうえでは「共和政」でやっていくことになります。

いっぽう国外では、革命の〝飛び火〟を警戒したヨーロッパ諸国が、フランスへの侵攻を図ります。

侵略を恐れた議会は、急ピッチで「徴兵制」をしきます。

それまでは、わりと穏健な「ジロンド派」が多数を占めていました。

けれど、民主政治の実現にため、より急進的な「ジャコバン派」が、勢力を伸ばしていきます。

なかでも、リーダーの「ロベスピエール」は、反対勢力のほか、すこしでも不満をもつ仲間さえも、処刑します。

「恐怖政治」とよばれ、独裁色を強めていきます。

結果、ロベスピエール一派の暴走に、怒りをもった民衆は、かれ自身をギロチンにかけることになります。

ナポレオンの皇帝就任

混乱のなか、新たな議会「総裁政府」が設立されます。

ロベスピエールのような〝独裁者〟が出ないように、選出5人の話し合いで、国家運営がなされます。

けれど、統率力に欠け、じょじょに求心力を失っていきます。

代わりに登場したのが、強いリーダーシップを発揮した軍人「ナポレオン」です。

総裁政府にたいしてクーデターを起こし、みずからが権力を握ります。

・総領政府の設立
・ナポレオン法典の発布

をおこない、「皇帝」の座に就任します。

ちなみに、ナポレオン自身の人気のため、民衆からの反発は起きませんでした。「王政」を嫌う平民階層ですが、「自分たちで「皇帝」を選んだ」と意識がありました。そのために、大きな不満を抱きませんでした。

ナポレオンの海外遠征&失脚

国内の混乱をおさめたナポレオン ─ 。

つづいて、侵攻する外国勢力の抑え込みにかかります。

・トラファルガーの海鮮(vs イギリス)
・アウステルリッツの戦い(vs オーストリア&ロシア連合)

この2つの戦いで勝利したナポレオンは、フランス領土を広げます。

勢いをつける「ナポレオン」は、ヨーロッパ一帯を支配しようとします。

しかし、

・モスクワ遠征(vs ロシア)
・ライプチヒの戦い(vs 連合軍)
・ワーテルローの戦い(vs ロシア)

─ これら3つの戦争で大敗を喫します。

結果、アフリカ西部の孤島「セントヘレナ島」へ流刑され、生涯を閉じます。

出典:『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』

ナポレオン失脚後は、ふたたび議会に権限が移ります。

ですが、数十年後、ふたたび「王政」が復活します。

このようにフランスでは、革命が起きても、市民の権利が安定しない時期が、つづきます。

近代ヨーロッパの歴史③ ─ 産業革命

アメリカ独立革命&フランス革命など、政治面での転換が起きるなか、経済面でも革命が起こります。

イギリスの産業革命です。

ポイントは、つぎのとおりです。

  • 産業革命の要因
  • 機械の進化
  • 動力への応用
  • 産業革命のマイナス面

それぞれカンタンにみていきます。

産業革命の要因

産業革命とは、カンタンにいえば、

「手工業」から「機械工業」への転換

のことです。

これまで人の手でやっていた作業を、機械にまかせる、ということです。

なぜ、イギリスでおきたのか?

産業革命は、イギリスでおきました。

要因はなにか ─ いまでも、研究者のあいだで、議論されています。

有力な説は、2つ。

・海外貿易による資本蓄積
・失業農民による労働力の増大

です。

以前のべたとおり、スペイン&ポルトガルにかわり、イギリスは海洋交易ネットワークを支配するようになりました。

なかでも、インド&アメリカとの貿易は活発 ─ 。それにより、たんまり資金・資本を手にします。

それを「元手」に、イギリス国内に、工場施設を建て、機械をおくことができました。

これが、1つ目の要因。

もうひとつは、失業農民の増大です。

機械化により、農業分野では合理化がすすみました。

それにより、都市部を中心に、失業者があふれます。

かれら/かのじょたちが、労働力として起用され、経済成長をうながし、産業革命をおこします。

これが2つ目の要因です。

機械の進化

産業革命は、綿織物業でおこります。

そのプロセスで、紡績機(=糸・綿を織る機械)が、進化をとげます。

流れはこんなかんじ。

・飛び杼

・ジェニー紡績機

・水力紡績機

・ミュール紡績機

その都度、技術者(エンジニア)が、改良をおこないます。

結果、日々、生産性が向上していきます。

動力への応用

いっぽう、紡績機は、水蒸気で動いていました。エンジンになっていたわけです。

はじめ、水蒸気は、紡績機だけにしか使用してませんでした。

それが、ほかの機械にも応用されていきます。

こんなかんじ。

・紡績機

・蒸気機関

・力織物機

・蒸気機関車

・蒸気船

蒸気機関を改良し、ほかのメカに応用・活用したのが、発明家・技術者「ジェームズ・ワット」です。

かれのイノベーションをキッカケに、力織物機、蒸気機関車などが生まれ、経済の生産性がアップします。

イギリス国内は、ますます繁栄していきます。

海外貿易でも、勢力をのばし、

世界の工場

と、よばれるようになります。

産業革命のマイナス面

いっぽうで、産業革命は、社会に「歪み(ひずみ)」をもたらしました。

つぎの2つです。

・失業者の増大
・資本家/労働者の分化

失業者の増大

まず、機械によって、生産活動が効率化したことで、農民層を中心に、失業者が増大しました。

たしかに、うえにのべたとおり、新たな産業の労働者として「登用」される人たちもいました。

しかし、その流れに乗り遅れた人もたくさんいました。

結果、機械の打ち壊しによる暴動(=ラッダイト運動)なども多発し、民衆の不満は高まっていきます。

資本家/労働者の分化

立ち遅れた者がいるいっぽうで、機械化の波に乗って、経済力を高めた人たちがいます。

かれらは、失業農民を「労働力」として活用 ─ 。

本来の取り分を「搾取」することで、巨万の富を獲得していきます。

それにより、

・搾取する側=資本家
・搾取される側=労働者

といったかたちで、経済格差が生まれます。

不満を募らす労働者は、集団をつくり、反対運動を展開します。

これがのちの、社会主義運動へとつながっていきます。

近代ヨーロッパの歴史④ ─ 啓蒙思想

経済面のほかに、学術面でも転換がおこります。

啓蒙思想の広まりです。

啓蒙とは、「蒙(=暗やみ)」を「啓く(=明るく)」すること ─

翻訳語だと分かりにくいですが、英語では「enlightenment」といいます。

暗いトコを照らす、というニュアンスです。

啓蒙思想とは、

それまで、宗教(=教会)によって覆い隠されていた「真理(Truth)」を、理性によって明らかにする

という考え方です。

1600年代の「科学革命」は、自然環境が、探求の対象でした。

啓蒙思想は、人間・経済・国家・社会を、対象にします

・科学革命の対象 → 自然環境
・啓蒙思想の対象 → 人間・経済・国家・社会

代表的な人物&作品は、つぎのとおり。

・ヴォルテール『哲学書簡』
・アダム・スミス『国富論』
・モンテスキュー『法の精神』
・ルソー『社会契約論』

それぞれ、みていきます。

ヴォルテール『哲学書簡』

論説『寛容論』、物語『カンディード』など、ジャンルを問わず執筆したヴォルテールは、人間精神のあり方に影響を与えました。

歴史家のなかには、「18世紀はヴォルテールの時代」と主張する人もいます。

アダム・スミス『国富論』

アダム・スミスは『国富論』によって、市場経済のしくみを解明しました。

いまの経済学の土台を築いた人です。

モンテスキュー『法の精神』

モンテスキューは、『法の精神』によって、最適な民主制度のあり方を提案しました。

民主主義のキホンである「三権分立」を提唱しました。

ルソー『社会契約論』

ルソーは『社会契約論』によって、市民と国家のカンケー性について探求しました。

かれの唱えた「社会契約」という考えは、のちの「フランス革命」に影響をあたえます。

このように、政治・経済・学術 ─ それぞれのジャンルで革命がおきました。

以上の大きな流れをふまえて、ヨーロッパ各国の動向をみていきます。

近代ヨーロッパの歴史⑤ ─ フランスの動向

ナポレオンが失脚したあとも、フランスは乱れに乱れます。

流れはつぎのとおり。

・ウィーン会議

・七月革命

・二月革命

・ナポレオン3世による統治

それぞれみていきます。

ウィーン会議

ナポレオンは、ヨーロッパ全体に領土をひろげていきます。

同時に、各国に「民主化」もすすめてきます。

それぞれの国王は、危機感をいだきます。

ナポレオンが退いたことをきっかけに、ヨーロッパ諸国の王たちは、「王政」に戻そうとします。

そのとき開かれた集まりが「ウィーン会議」です。

結果、民主化の動きは止まり、それぞれ「王政」へと戻っていきます。

・フランス王国
・ロシア帝国
・プロイセン王国
・イギリス連合王国
・スペイン王国

などなど。

さらに、ナポレオンが獲得した植民地を、かれに代わって、治めることになります。

・イギリス → スリランカ&ケープ植民地
・ロシア → ポーランド&フィンランド

などなど。

いっぽう外交ルールの大枠は決まりましたが、具体的な規定は、なにも定めることができませんでした。

そのため、「各国の王家が、パーティーとダンスをくりかえしているだけ」と、民衆側から批判されます。

会議は踊る、されど進まず

と、風刺されます。

ウィーン会議のあとも、

・神聖同盟
・四国同盟
・五国同盟

など、各国が個別で条約をむすび、ウィーン会議での決定事項を〝肉付け〟してきます。

とはいえ、時代を巻き戻すような外交政策に、民衆たちの不満は高まっていきます。

ヨーロッパ各地で自由主義運動が起こり、革命の動きが出てきます。

七月革命

ウィーン会議のあと、フランスでは、ナポレオンのあとに「ブルボン王朝」が、ふたたび国を治めます。

[ルイ18世 → シャルル10世]とつづきますが、議会を無理やり解散させるなど、民衆の怒りをあおるような、行動をくりかえします。

それにより、国民の怒りがピークに達して、ふたたび革命が起こります。

これを「七月革命」とよびます。

結果、「ブルボン王朝」は倒れ、民主化をすすめる「ルイ=フィリップ」が国王となります。

また「七月革命」をきっかけにして、ほかのヨーロッパ諸国にも、〝革命の波〟が広がっていきます。

二月革命

ブルボン王朝にかわりに、フランスを担うことになったフィリップ王 ─ 。

〝民主化の前進〟を期待されましたが、貴族&資産家を優遇する政策ばかりおこないます。

普通選挙も実施せず、農民&労働者階級から、非難の声があがります。

不満を募らせる民衆は、三度目の「革命」を起こします。

これを「二月革命」といいます。

フィリップ王はイギリスに亡命し、再度、王権が廃止に。

「フランス革命」以来、二度目の「共和政」が成立します。

h3>ウィーン体制の崩壊
いっぽう、「七月革命」につづく「二月革命」で、ヨーロッパ諸国の「自由主義運動」はピークに達します。

各国の動きは、つぎのとおり。

・プロイセン → 三月革命
・ポーランド → ロシア帝国からの独立運動
・オーストリア → 暴動の激化
・イギリス → チャーチスト運動

「王政」をとる国では、つぎつぎに王朝が倒れます。

事実上、ウィーン会議での決まりは、無効になります。

「ウィーン体制」の崩壊です。

ナポレオン3世による統治

ふたたび「共和政国家」として走り出したフランスですが、思うように民主化が進展しません。

そんな雰囲気のなかで現れたのが、ナポレオンの甥「ルイ=ナポレオン」です。

かれの登場により、民衆は、

「停滞する政治を打ち破ってくれる」

と期待します。

国民投票によって、かれを「ナポレオン3世」として、皇帝に就任されるまでに至ります。

就任当初は、

・対外戦争
・都市整備
・万博開催

などなど、国民に人気のある政策をおこない、支持を集めます。

しかし、メキシコ遠征での失敗をきっかけに、陰りが見え始めます

さらに、ビスマルク率いる「プロイセン」との戦争に敗北すると、国民からの支持を一気に失います。

しまいには、プロイセンに侵略されそうになり、労働者政権「パリ=コミューン」の樹立を許してしまいます。

それでもなんとか運動は抑えられ、3回目の「共和政」がとられます。

以後、しばらくは国内政治は、安定していきます。

しかし、隣国「ドイツ」の統一をきっかけに、ふたたび政治が乱れてきます。

これが「第一次世界大戦」につながっていきます。

近代ヨーロッパの歴史⑥ ─ イギリスの動向

いっぽうのイギリス。

フランスでは、革命の嵐が吹き荒れました。

けれど、イギリスは、わりとおだやかでした。

政府が国民の意見を聞きいれ、その都度、改革をおこなっていたからです。

さらに、海洋覇権をにぎり、豊かになってことも、ひとつの要因です。

以下、国内/国外の視点から、イギリスのようすをみていきます。

国内 ─ ヴィクトリア朝の絶頂期

ウィーン会議後、イギリスは、ヴィクトリア女王が国を治めていました。

国民の不満が高まらないように、制度改革をおこない、革命の抑止に努めていました。

具体的には、

東インド会社の優遇措置 → 廃止
「イギリス国教会」以外の宗教 → 認可
労働環境の改善 → 工場法の制定

などです。

国外 ─ 大英帝国の繁栄

いっぽう、イギリス国外でも勢力をのばします。

対外戦争では、

・アヘン戦争
・クリミア戦争
・アロー戦争

などで勝利を重ねていきます。

さらに、交易の面でも、スエズ運河を買い取り、

・カナダ
・インド
・エジプト

を相手に、有利な貿易をおこないます。

世界各地の都市をおさえ、植民地の版図は、最大になります。

この時代を、

パックス=ブリタニカ

とよんだります。

近代ヨーロッパの歴史⑦ ─ ドイツの動向

つづけて、ドイツ。

ドイツ地域では、領邦(=小規模国家)の統一に苦労します。

けれど、鉄血宰相「ビスマルク」の政治手腕により、ようやくドイツ統一をはたします。

以下、

  • 領邦=小国家の乱立
  • ビスマルクによるドイツ統一

にそってみていきます。

領邦=小国家の乱立

ドイツ地域では、小さな国家が分立し、なかなか統一できませんでした。

民族・言語は同じですが、おたがいに関税をかけあい、 市場も広がりません。

国力も弱く、軍事面で、イギリスやフランスに、勝てませんでした。

ビスマルクによるドイツ統一

とくに、プロイセンとオーストリアの対立は激しく、統一の合意にいたりません。

そんななか、プロイセンで、宰相「ビスマルク」が登場します。

「鉄血宰相」とよばれるかれは、ドイツ統一を果たそうとします。

プロイセンは、各国の関税を解除し、経済をつうじて、ドイツを統一しようとしました。

しかし、オーストリアの抵抗にあい、うまくいきません。

そこで「鉄血政策」を打ち出し、軍事と戦争によってドイツ統合をおこないます。

「プロイセン=オーストリア戦争」で、オーストリアをやぶり、北ドイツ連邦を樹立します。

いっぽう、南側地域には、まだいくつか領邦(=小規模国家)が残っていました。

そこで、東側に位置するフランスを「共通の敵」にして、ドイツ全体の団結心を高めます。

「プロイセン=フランス戦争」を起こし、フランス皇帝「ナポレオン3世」を捕らえることに成功 ─ 。

勝利したドイツは、南側の統一も果たし、「ドイツ帝国」を成立させます。

近代ヨーロッパの歴史⑧ ─ ロシアの動向

つぎにロシアです。

ポイントをあげると、こんなかんじです。

  • ロシア帝国 vs オスマン帝国
  • アレクサンドル2世による近代化政策
  • ロシア帝国 vs オスマン帝国、再戦
  • ベルリン会議
  • 東方への拡大

それぞれカンタンにみていきます。

ロシア帝国 vs オスマン帝国 ─ クリミア戦争

フランス皇帝「ナポレオン」をやぶり、侵略を免れたロシア ─ 。

しかし、極寒の北方に位置するロシアは、貿易港をもてず、世界の海洋交易に乗り遅れていました。

近代化もなされず、経済もパッとしません。

そこで、港を手にするため、南部のオスマン帝国に、手をのばします。

黒海&地中海の玄関口だった、

・ボスフォラス海峡
・ダーダネルス海峡

を確保するため、「オスマン帝国」に戦争をしかけます。

じつは、2つの海峡は、オスマン帝国の統治下にあった、セルビアなどの諸国がおさめていました。

これらの国々を味方につけて、オスマン帝国に戦いを挑みます。

これが「クリミア戦争」です。

しかし、オスマン帝国は、ロシアと対立していた、フランス&イギリスに軍事支援をもとめて、対抗します。

結果、勢力で劣るロシアは、大敗を喫し、2つの海峡から手を引くことになります。

アレクサンドル2世による近代化政策

クリミア戦争に参加した、イギリス&フランスは、ある程度、近代化を果たしていました。

軍事面・生産面での「弱さ」を実感した、「アレクサンドル2世」は、国内の近代化をはかります。

そのひとつの政策が、「農奴解放」です。

これまで領主・地主に縛られていた農民(=農奴)を解放し、自立できる農民を育てようとしました。

ひとりひとりが、自分のチカラで働いてもらうことで、ロシア全体の生産能力を高めようとします。

とはいえ、土地の提供など、国家が支援するわけではありません。

結果、地主からの保護を受けない、貧しい農民が増えるだけに終わります。

ロシア帝国 vs オスマン帝国 ─ ロシア=トルコ戦争

いっぽう、軍事面での近代化は、それなりに果たしていました。

軍事力をつけたこともあって、オスマン帝国に、ふたたび戦いをいどみます。

このときの争いを、「ロシア=トルコ戦争」といいます。

結果、再戦勝ちしたロシアは、オスマン帝国から、

・ルーマニア
・セルビア
・モンテネグロ

を、独立させることに成功 ─ 。

さらに、「ブルガリア=ロシアの保護国」であると、オスマン帝国に認めさせます。

それにより、世界との海洋交易につながる「貿易港」を手にします。

ルーマニア&ブルガリア経由で、海洋覇権に乗り出すことになる ─ そう目論んでいたんですが……。

ベルリン会議による領土縮小

ロシアの勢力強化をおそれたのが、隣国「ドイツ」でした。

首相になった「ビスマルク」は、

・オーストリア
・イギリス
・フランス
・イタリア

に声をかけて、「ベルリン会議」を開きます。

そこで、ロシアが保護国とした「ブルガリア」の領土縮小を決定 ─ 。

貿易港がある場所を、「オスマン帝国」に返還させることまで決めてしまいます。

結果、〝海の玄関〟を失い、ふたたび、海洋交易競争に立ち遅れることになります。

東側ルートの交易 ─ 日露戦争

その後、西側ルートの海外貿易を果たせないロシアは、東側ルートでの交易をねらいます。

太平洋方面にむけて、ロシア大陸に「シベリア鉄道」を敷き、ユーラシア大陸の東部に貿易港を建てようとします。

そのプロセスで、太平洋地域の海洋交易をおさえる「朝鮮」「日本」と対立 ─ 。

近代化を果たした「日本」と戦争をおこないます。

これが「日露戦争」です。

出典:『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』

近代ヨーロッパの歴史⑨ ─ アメリカの動向

さいごは、アメリカです。

イギリスとの独立戦争をつうじて、それまでバラバラだった「13州」がまとまったアメリカ ─ 。

それを機に、西側に領域をひろげていきます。

いっぽうで、「奴隷制」をめぐり、北部地域/南部地域が対立します。

南北戦争に発展します。

ポイントは、つぎのとおりです。

  • 西部への拡張&併合
  • 北部/南部の対立_
  • 南北戦争の勃発
  • 黒人奴隷問題

ひとつひとつ、みていきます。

西部への拡張&併合

独立戦争で、イギリスとの勝利を果たしたあと、「13州」のアメリカは、西側に領土を拡大していきます。

プロセスは、つぎのとおり。

・ミシシッピ川(東側) → イギリスから獲得

・ミシシッピ川(西側) → フランスから買収

・フロリダ → スペインから買収

・テキサス → メキシコから独立&統合

・オレゴン → イギリスが譲渡

・カルフォルニア → メキシコとの戦争により獲得

ヨーロッパ諸国から土地を買収したり、周辺国「メキシコ」との戦争をつうじて、領域を拡張していきます。

1848年にカルフォルニアの獲得により太平洋まで到達 ─ 。

1890年代には、ある程度の開拓が終わった、とされます。

出典:『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』

北部/南部の対立

西側への拡張がすすむいっぽうで、アメリカ全体が、北部地域/南部地域に分かれていきます。

背景には、産業の違いがあります。

北部は「商業&工業」、南部は「農業」が中心でした。

当時、奴隷をつかい、モノをつくるのがフツーでした。

しかし、「人権」の観点から、奴隷制を止めて、奴隷を解放させる動きが出てきます。

まがりなりにも、アメリカは「近代国家」で、市民の自由を認めるのが〝スジ〟でした。

人権をめぐる運動は、「北部」から起こります。

商業&工業が中心の北部は、商業をするうえで、奴隷に依存しないからです。

いっぽうの「南部」は、奴隷を使わないと、農業が成り立ちません。

当然、「奴隷解放」に反対です。

こうして、北部/南部の対立は、激しくなっていきます。

貿易面でも、北部は「自由貿易」を支持し、南部は「保護貿易」をおします。

南部は、政府をつうじて、イギリスの資本家〝だけ〟を相手に、綿花を輸出していたからです。

結果、つぎのように、意見が分かれます。

・北部 → 奴隷制の廃止&自由貿易
・南部 → 奴隷制の維持&保護貿易

南北戦争の勃発

北部/南部の対立は、戦争にまで発展します。

これが「南北戦争(American Civil War)」です。

北部で、奴隷制廃止をかかげる「共和党」が成立 ─ 。

「リンカーン」が、大統領に立候補します。

奴隷制支持の南部では、アメリカ合衆国とは別に、「アメリカ連合国」を建国します。

大統領には、ジェファソン=デヴィスが推されました。

こうして、アメリカ大陸のなかに、2つの国家ができ、戦争が起こります。

・北部 → アメリカ合衆国(リンカーン)
・南部 → アメリカ連合国(ジェファソン)

戦争は、5年ちかくつづきました。

さいしょは、前半は南部が優勢でした。

しかし、北部のリーダー「リンカーン」が、「奴隷解放宣言」を打ちだすと、流れが変わります。

大義名分は「北部にあり」とみなされるようになり、アメリカ合衆国のほうに支持者があつまります。

最終的には、「ゲティスバーグの戦い」で、北部が南部をやぶり、勝利をおさめます。

戦いのあと、リンカーンが述べた言葉が、

「人民の、人民による、人民のための政治」

です。

出典:『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』

黒人奴隷問題

「奴隷解放宣言」にもかかわらず、黒人奴隷が自由で、豊かになったわけではありません。

リンカーンは、奴隷の権利保護を訴えるだけでした。

土地&資金のサポートは、いっさいしませんでした。

これまで同じく、黒人奴隷は、白人領主のもとで差別を受けながら、働くことになります。

人種差別は、現在に至るまで、つづいていきます。

まとめ

流れ
① アメリカ独立革命
② フランス革命
③ 産業革命
④ 啓蒙思想
⑤ フランスの動向
⑥ イギリスの動向
⑦ ドイツの動向
⑧ ロシアの動向
⑨ アメリカの動向
キーワード
・13植民地
・合衆国憲法
・三部会
・立憲君主派/ジロンド派/ジャコバン派
・恐怖政治
・ウィーン会議(ウィーン体制)
・七月革命&二月革命
・パックス=ブリタニカ
・クリミア戦争
・日露戦争
・南北戦争
重要人物
・ルイ16世&マリ=アントワネット
・ロベスピエール
・ナポレオン
・ルイ=ナポレオン
・ヴィクトリア女王
・ビスマルク
・アレクサンドル2世
・リンカーン

この記事が、「近代ヨーロッパの歴史を知りたい人」の参考になれば、うれしいです。

ではまた〜。