【世界史】中国の歴史 まとめ

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・中国の歴史を、ざっくり知りたい
・大事なキーワードは?
・重要な人物は、だれ?

きょうは、この問いに答えていきます。

先に結論をいえば、つぎのとおり。

りきぞう

・中国の歴史は、[古代中国 → 秦漢帝国 → 魏晋南北朝 → 隋唐帝国 → 五代十国&宋朝 → 元朝&明朝 → 清朝]の流れをおさえると、すっきり理解できる
・大事なキーワードは、「黄河/長江」「郡県制」「律令制」「文治政治」など
・重要な人物は、「始皇帝」「項羽/劉邦」「趙匡胤(ちょうきょういん)」「康煕帝」など

ポイントは、つぎのとおり。

  1. ① 古代中国
  2. ② 秦漢帝国
  3. ③ 魏晋南北朝
  4. ④ 隋唐帝国
  5. ⑤ 五代十国&宋朝
  6. ⑥ 元朝&明朝
  7. ⑦ 清朝

….

この記事では、つぎの本を参考にしました。

以下、目次にそって、みていきます。

中国の歴史① ─ 古代中国

まずは、古代中国から。

ポイントは、つぎのとおり。

  • 黄河文明&長江文明
  • 殷王朝&周王朝
  • 春秋戦国時代
  • 諸子百家の活躍

中国文明は、黄河&長江のふきんでおこります。

いわゆる長江文明です。

その後、

黄河流域の集落 → 殷王朝
長江流域の集落 → 周王朝

といったかんじで、2つの流域で王朝が成立します。

争うなか、「周」が統一をはたします。

しかし、異民族の侵攻をうけ、周の首都が陥落 ─ 。

これをきっかけに、各地域の諸侯(有力者)が争う「春秋戦国時代」に入ります。

またこの時代、「諸子百家」とよばれる思想家が活躍します。

「古代中国」については、こちらの記事で、くわしく説明しています。

中国の歴史② ─ 秦漢帝国

つづけて、春秋戦国時代をへて、秦が中国統一をはたします。

ポイントは、つぎのとおり。

  • 秦による中国統一
  • 秦帝国の滅亡
  • 前漢の成立
  • 後漢の復興

秦王は「始皇帝」として即位し、統治の整備を積極的におこないます。

しかし、改革をいそぎすぎたため、各地で反乱がおこります。

それにより秦は滅亡。

かわりに、秦王朝をたおした「劉邦」が「漢王朝」を成立させます。

以後、約300年にわたり、中国一帯をおさめます。

しかし、改革をいそぎすぎたため、各地で反乱がおこります。

それにより秦は滅亡。

かわりに、秦王朝をたおした「劉邦」が「漢王朝」を成立させます。

以後、約300年にわたり、中国一帯をおさめます。

「秦漢帝国」については、こちらの記事で、くわしく説明しています。

中国の歴史③ ─ 魏晋南北朝

秦漢時代のあと、中国は、魏晋南北朝時代に入っていきます。

ポイントは、つぎのとおり。

  • 魏・呉・蜀の台頭
  • 普王朝の建国
  • 普の南北分裂

200年ごろになると、漢王朝が衰退します。

それにかわり、魏・呉・蜀が、台頭 ─ 。

『三国志』として、有名な時代です。

三国が争ったあと、「魏」をつぐかたちで「普」が建国されます。

しかし、統治は長くつづきません。

内部抗争にくわえ、北方から遊牧民が侵入します。

普は滅亡し、ふたたび混乱期に入ります。

北部では、遊牧民の各部族が争いをつづけ、漢民族はそれぞれの土地を守ります。

いっぽう南部では、いったん滅びた「普」が、ふたたび建国します。

「西普」とよびます。

この時期、北部/南部で、政治状況の分断がおこります。

そこから「南北朝時代」とよばれます。

「魏晋南北朝」については、こちらの記事で、くわしく説明しています。

中国の歴史④ ─ 隋唐帝国

南北に分裂していた中国を、北部(=華北)の「隋王朝」が統一 ─ 。

崩壊後、隋に代わり、唐が中国一帯を治めます。

ポイントは、つぎのとおり。

  • 隋王朝の建国
  • 唐王朝の建国

隋と唐の時代に、いまの中国につながる統治体制がつくられます。

律令制の導入、科挙の設置など、官僚制度が整備されます。

「隋唐帝国」については、こちらの記事で、くわしく説明しています。

中国の歴史⑤ ─ 五代十国&宋王朝

つづいて、「五代十国&宋王朝」の時代です。

ポイントは、つぎのとおり。

  • 五代十国時代の混乱
  • 宋の建国
  • 金&南宋の成立

唐が衰退したあと、中国一帯は「五代十国の争乱」の時代に突入します。

「趙匡胤(ちょうきょういん)」が混乱をおさめ、「宋王朝」を建国します。

経済は大きく発展します。

けれど「文治政治」をとっていたので、軍事力はイマイチでした。

かわりに、北方で「金」が台頭します。

宋に侵略し、北部中国をおさめます。

生きのこった、宋の親族たちは、南に逃亡します。

8年間の放浪のすえ、中国南部に王朝を「南宋」を建国します。

北を「金」、南を「南宋」がおさめる状態がつづき、一時、平和をむかえます。

「五代十国&宋王朝」については、こちらの記事で、くわしく説明しています。

中国の歴史⑥ ─ 元朝&明朝

つづけて、元朝&明朝の時代へ入っていきます。

ポイントは、つぎのとおり。

  • 元朝の建国
  • 明朝の建国

中国北部を「金」、南部を「南宋」がおさめる状態がつづき、一時、平和をむかえます。

しかし、西北チベットで、モンゴル帝国が台頭します。

隣国「金」を滅ぼし、さらに、「南宋」まで征服します。

ここで「元王朝」が建国され、以後、約100年にわたり、チベット〜中国一帯にかけて統治します。

しかし「紅巾の乱」をきっかけに、元王朝が衰退していきます。

元王朝は、モンゴル民族をルーツとします。

それを、漢民族の「朱元璋(しゅげんしょう)」が滅ぼし、「明王朝」を建国します。(1368年)

年号を「洪武(こうぶ)」とし、本人も「洪武帝(こうぶてい)」と、名をあらためます。

その後、3代「永楽帝(えいらくてい)」は、

・秘書官の設置
・海外遠征&交易(=鄭和の大航海)

など、内政/外政ともに、積極的な政策をうっていきます。

「元朝&明朝」については、こちらの記事で、くわしく説明しています。

より理解したいひとは、参考にしてみてください。

中国の歴史⑦ ─ 清朝

明王朝は、1368年に建国し、1644年まで存続します。

つづいて、明を倒した清王朝が建国されます。

ポイントは、つぎのとおり。

  • 清の形成
  • 清の発展
  • 清の衰退

明朝は、14代「万暦帝」のころになると、財政が悪化します。

けれど、内閣大学士「張居正(ちょうきょせい)」の税制改革により、いったんは持ち直します。

しかし張居正が亡くなると、政治の中枢で権力争いがおこります。

それにともない、ふたたび財政は悪化 ─ 。

税も重くなり、民衆の不満・反発が高まっていきます。

そこから、農民反乱のリーダー「李自成(りじせい)」が登場・活躍します。

勢いをつけた反乱軍は、首都「北京」を占拠 ─ 。

17代「崇禎帝(すうていてい)」が自殺し、約200年つづいた「明王朝」は滅亡します。(1644年)

覇権をにぎった李自成 ─ 。

けれど、すぐさま北方民族「女真族(じょしんぞく)」に征服されてしまいます。

女真族・3代皇帝「順治帝」は、漢民族と融和しながら、領土の拡大をはかりました。

拠点は「北京」におきます。

かつて「女真族」は、漢民族を支配した経緯があります。

良好なカンケーをきずくにはイメージがわるい。

そこで順治帝は、「女真」から「満州」へと、名まえをあらためます。

4代「康煕帝(こうきてい)」のときに、中国統一をはたします。

くわえて、台湾も征服 ─ 。

北方・ロシアとは「ネルチンスク条約」をむすび、外政を安定化させます。

これにより、国内の平和をたもち、繁栄の土台を築きます。

その後しばらく、安定期がつづきます。

しかし1700年代以降、近代化をはたした「ヨーロッパ諸国」が、たびたび中国地域に進出してきます。

はじめは、交易・貿易面での進出でした。

けれど、じょじょに、強い軍事力を背景に、武力でももって交渉してきます。

1800年代に入ると、本格的に植民地支配がなされます。

最終的には、1840年「アヘン戦争」をキッカケに、清は衰退 ─ 。

1911年に滅亡します。

「清朝」については、こちらの記事で、くわしく説明しています。

中国の歴史⑧ ─ 近代世界

以降、中国地域は、ヨーロッパに端を発する〝近代化の波〟に巻き込まれていきます。

世界は、ヨーロッパ地域にとどまらず、地球規模で時代が動いていきます。

全人類を巻き込み、「近代世界」へ突入していきます。

近代世界の大まかな流れは、こちらの記事で、くわしく説明しています。

まとめ

まとめると、

りきぞう

・中国の歴史は、[古代中国 → 秦漢帝国 → 魏晋南北朝 → 隋唐帝国 → 五代十国&宋朝 → 元朝&明朝 → 清朝]の流れをおさえると、すっきり理解できる
・大事なキーワードは、「黄河/長江」「郡県制」「律令制」「文治政治」など
・重要な人物は、「始皇帝」「項羽/劉邦」「趙匡胤(ちょうきょういん)」「康煕帝」など

といったかんじ。

この記事が、「中国の歴史を知りたい人」の参考になれば、うれしいです。

ではまた〜。